悪くない

落下の来ることのなく、日をすごす。いやに安定した日々のあとに、のたうちまわる時間が来るだろうことを俺は知っている。そんなの悲しいね、なんて君は言うだろうけど、そう悲しくもないのでないか、なんてね、僕は思うよ。そういえば君はこんなことも言っていた。そんな日にだってあんたより悲しい人はいるものよ、だって。記憶に残る君の微かな優しさ、それとたくさんの痛みと、あとは、あとは、ね、忘れた。君はずっと痛がっていたんだ、来る日も来る日も、世界の終わりみたいな顔してた。いいや、世界の終わりだったら、もっと素敵な顔をするはずだ、君は賢いから。屈託なく笑って、明日もいい日だよ、ってね、そうして滅亡していくはずだ。最後の一人と一人、それに一匹(君の白い大きな犬も最後に残るはずだ)になってから、君は笑ってね、そんな感じ。悪くない。
世界の終わりの一日前に、僕らは不幸になる。世界で一番かわいそうで、儚いばかりの命になる。あの犬の名前はなんていったか、それさえも僕は思い出せずに、誰もいなくなった街を歩いている。それがちょうど落下の日だ、本当は歩きたくなんてない、何も見たくも、聞きたくもないはずなのに、街へ出て歩いている。誰もいなくなった街はとても綺麗だ。夕暮れが来るまで、そうやって歩いている。焦燥、孤独、感じない。あるのは事実の積み重なり、世界の終わりまであと二十四時間と五時間くらいだって確信。伸びた髪が汗で顔に張り付く、不気味な感触。嫌な気持ちだ。誰にも会えない。誰もいないから。世界で一番不幸になる瞬間、世界で一番絶望的なステージ、それもさ、悪くない。
悪くないけど、不快だ。不幸なことは死ぬほど嫌じゃない。幸福が全部だって、そんなことを考えたこともない。身にあまるほどの幸福が与えられてるのは、毎日思うことだけれど。でも、明日なくなるってわかってしまうことは、不幸じゃないけど、不快だ。永遠に生きるための酒があるとして、ないけどね、一週間くらい悩んで、それで捨てちまえるような、そんな人間でありたい。悪くない。
そんなことを考えながら君の家に着く。一度目のチャイムは無視されて、二度目のチャイムで君は僕を出迎える。庭にいる白い大きな犬(名前が思い出せない、ジョンだかなんだか、スリーピー・ジョン・エスティスからとったんだっけか)と一緒に君の部屋に入る。君の部屋は世界の終わりだからか、いつもより片付けられていて、別の空間みたいに感じる。壁からぶら下がったギターにはカポの代わりに鉛筆が括りつけてある。僕らはいつもと同じくだらない話をする、それで残り二十時間に足りないくらい。あとは、ずっと、君がギターを弾くのを聴いていたっていいし、君の作ったメロディに洒落た言葉をのせたっていい。悪くない。
僕の世界の終わりは、こんな感じ、簡単に言うとね。あんたのはどうだい? ああ、それも、悪くない。


明日はそういえば、あの喧騒の地。初めて顔を合わす人と、少しだけの時を過ごす。悪くない。