またひとつ整っていくんだ

頭のねじの数十本外れて、そこに花束がさしてあるような、あの人は、あの遠くを見ているような人にしか懐かなかった。そうして、僕は発狂した。僕を愛してくれたあの子を、僕が殺した日、僕は発狂した。僕は発狂したくない。発狂の後には落下が待っている。
頭のねじ外して、頭蓋から脳みそ見えて、それから歌が始まった。そうして、僕は発狂した。僕を愛してくれた子を、僕は殺した、けれど、その子は静かに笑っていてくれた。僕は、発狂した。僕は発狂したい。落下が来るとて、発狂している瞬間の世界の崩壊に比べればなんだ。世界のすべてが落ちていくのと、自分だけが落ちていく。どちらが凄まじい音の出るか、そんなこと、わかりきってるだろう?


これは私信として。また、自己への指針として。
一報を見て、静かに煙草を一本吸った。いつもよりゆっくりと、香りを楽しむために。落ち着きたかったのかもしれぬと、ふと思った。少しうれしくて、それでも何か胸騒ぎがするようで、だから煙草に火をつけた。
僕と似ているなんて君よ、君は僕と似ているからこそ、きっとどこかが決定的に違うのだと思う。そいつは悲しいことではなくて、少しばかり楽しいことで、たくさん嬉しくて、それから胸のざわつくような、そんな意味を持っているんだ。僕らは違う境遇で育った、違う人と出会い、違う人と別れ、違う歌を聴き、違う絵を見て、それから違う本を読んで、それから、それから、それから、ね、同じ人と出会ったのに、きっと違う見方をしていたんだ。僕は、君と違う味方をして、痛んだ。言葉遊びが過ぎるのは、きっと少しばかり動揺しているせいだと思う。予想通りになることなんてこれまでにひとつもなかったから(ひとつも、ってのは言い過ぎでね、些細なことはあるのだろうけれど、どうでもいいことに含まれるのだと思う)きっと予想とは違った形ではあるのだろうけれど、大筋はずうっと変わっていない。僕は僕の話しかできず、君は僕を語れる。僕は君に幸せになって欲しいと願う。幸せはどこにあるの? それはきっと真白なところ。希望はどこにあるの? それはきっと桜吹雪の中。けれど、僕は葉桜が好きでいる。生命は葉桜の、あの緑色混じる枝の先、軽薄な美しさを捨てた、そこに見た。僕の幸せは、いつだって無理のない、楽な場所、それでもなお、生きることを教えてくれる痛みの。君の幸せがどこにあるのか、僕はそれを知らない、けれど、君がそれを見つけ出せるのだと、僕は頑なに信じているのだ。僕は自分を縛ることしか知らない、誰にも縛られたくない代わりに、自分で縛らねばいけない、なんて、そんな風にずっと考えている。君はそこのところ、どんな感じだい? 賢い君のことだ、何かが見えていることを信じている。こんなときに、上手い言葉のひとつでも捧げられればいいのだけれど、俺にはそんなことできないようなので、ひとつだけ、愛しているよ、と、言っておくよ。君よ、幸せに。君のことを少しだけ知っている僕は、さもすると絶望の淵に立ちそうになる日常を、そうやってまわしていくんだ。
愛しているよ。君が少しでも、これまでの言葉を重く感じるならば、すぐに捨ててくれ。君にとって、目に見える幸せが痛いならば、君の楽なほうへ、何かが壊れたってかまわないんだよ。僕は手助けなんてできないけれど、君が話してくれるならば、静かに話を聞いているから。壊れたものの話は、思い出にしてそこに置いていくんだ。持っていける過去ならば、刺さるままにしていくしかないのだから。