なかなかね、の日々を

声が聞こえたので。

幸せな、さりとて幸せな、皆が皆そうだとは思わないし、なんなら幸せそうにしている、君も君も、道端で浜昼顔に反吐を出すようなことがあるのかもしれないが、表面上は、表層の、星でいえば重力に捕まった可哀想な気体のような、発散せずともとにかく漂っていて、それが当然かのように(そのままでいるとは限らないのに!)いるだけなのかもしれないが、おれにはどうにも幸せそうな、そのように君らが見せたいのか、このおれがどうにも卑屈な、偏屈な、痛みを自慢したいばかりに、幸せの総数をごまかしてもっともっともっともっと! もっともっと! いくらでも幸せを得るために、隠している蔽っている、からなのか、つまりは痛みをあえて得ることでこの、煙草を辞めて十七時間が経った時のような、薬指と喉の少し下と陰茎の少し上がふるふると脈動するのを感じる時のような、栄養の足りない脳が世界を見つめるときの快楽を得ようとしているのか、それはわからないのだが、そのようにしているように感じられるので、感じてしまった場合はどうすればいいのか?

それは、君らの幸せをきちんと祝うことができるのか?

やあ。

端的にいうとね(といってからまとめてある例を見たことはないのだが)、きちんと生きねばならないのだが、どうにもならん。

なかなかね(上手くまとめられたと思うのだが)なかなかね。

なかなかね、の日々を。