夏の日妄想

その人はいないだろ。
奇しくも、その妄想話は僕が数え始めて二百五十話目だった。二百五十という数字が、記念の数字になり得るか、百や二百と違って、たいして綺麗ではないのではないか、そう思ったが、多いのか少ないのかは考えればすぐわかることだった。緩やかに、さも、見てきたものを縁取るように、かたちどられる話たちは、やはり全てがちぐはぐで、不自然で、どこからか持ってきた石ころをジグソーパズルに無理やりつめているイメージ、呼び起こすのだ。
「そのおんなのこは?」
二百五十話目の話は、リアルだった。適当にあいづちをうっているだけの僕でさえ引き込まれて、引きずられて。気付けば、一時間がたっていた。
「長かったね」
「短かった」
かみ合わない会話に、いつものように辟易しながらも、いつもとは違うリアルを底に感じた。大好きだったんだ、そう呟く言葉が、やはりいつもより切なくて、僕は冷蔵庫から烏龍茶を取り出して、カップに注いで手渡した。麦茶は、香りが嫌いだった。冷蔵庫、ちらりと残る記憶の中に、杏仁豆腐が冷やしてあったので、ジャスミンティーでも淹れてあとで食べようと思った。
からからと、からからと、グラスの中で氷が揺れた(僕だけグラスに烏龍茶を注いだ。氷も入れた)。思い起こせば、記憶、少なすぎて、それにさえ辟易しながらも、僕は言葉をつむいだ。
「それから、どうなったの?」
「それだけ、さ」
続きは無い様だったので、がっかりして、また、からからと、からからと、氷を揺らした。ペンギンがこの氷に上って、などという妄想、した記憶、残っているだろうか? むしろ、それをしたという事を思い返した記憶、まだ、かすかにでも、残しているのだろうか? グラスについた水滴が、まとまって落ちて、一滴、二滴、冷たさとともに、冷静さを呼び起こした。
結局、夏の日の思い出なのだ、全てが全て。夏を楽しむには、妄想がいる、と僕はひとしきり考えて、思い悩んでみて、ただ、あの子が妄想ではないことを願いながらも、烏龍茶がぬるくなってしまわないうちに飲み干そうとして、氷を入れたことに気がつくのだった。