TOKYO旅情

懐かしき歌、聴くたびに、思い出深くなり、忘却の彼方、泳ぐたびに、絶望に潜ることとなる。清浄な水のような声、恐らく美化した後の記憶。手繰ろうとしても、捨て去ろうとしても、絡まり続けた関係は解消されないのだ。三人目の男が現れた後、二人であった関係は一人と二人となり、残された一人は旅に出た。

もっとあの子の話を聞いてやればよかった
もっとあの子の手を握ってやればよかった
もっとあの子の傍に居てやればよかった


  お元気でしょうか
  僕は今貴女への手紙を書いています
  何分不慣れなことですから
  文章が下手でも許してくださいね


もっとあの子の顔を見てやればよかった
もっとあの子の手首を見てやればよかった
もっとあの子の傍にいてやればよかった


  桜の咲く季節になりました
  今でも一本だけ残っているのでしょうか
  もう貴女は忘れてしまったかもしれないけれど
  僕はまだ覚えていますよ


もっとあの子の冗談を笑ってやればよかった
もっとあの子の嘘に気づいてやればよかった
もっとあの子の傍にいてやればよかった


  住所も変わってしまったのでしょうか
  だとしたらこの手紙も届かないかもしれませんね
  それでもいいと僕が思ってしまうのは
  おかしな話なのかもしれませんけれど
  それはそれで何かほっとするような
  そのような感じがするのです


もっとあの子を抱きしめてやればよかった
もっとあの子を撫でてやればよかった
もっとあの子の傍にいてやればよかった


  これまで何度も手紙を出そうと思ったのですが
  これがどうして書くことに困ってしまうのです
  それにもうひとつだけ言い訳をしますと
  何を伝えようかと迷っているうちに
  僕からの手紙なぞ迷惑ではないかと
  そんなことを考えてしまうわけなのです


もっとあの子の傍にいてやればよかった
もっとあの子の傍にいてやればよかった
もっとあの子の傍にいてやればよかった


時は既に遅く。