日々はあったか

馴れ合い行脚もうんざりだね。一日に数本のcherryだけで乗り切るには、やや分が悪いか。偽善、自己愛、中心部。偽悪、自己愛、取り巻きとくらあ。僕の手にあるのは、イカレた体に乾いた精神。脳はいつもどおり、どこかに落としてきた。ただ繋がるためだけに、捧げねばならない、それだというのに、捧げるはずの性器は、どうにもあの子に反応せぬようだ。いやね、あの子どころか、何にも反応しようとしない。狂った雰囲気、とても広域、つのる焦燥、時期尚早。誰かの隣においてもらうことでしか自己を保てないならば、そんな自己を俺は否定する。孤独に生きることでしか自己の意味を見出せないならば、そんな自己を俺は否定する。そうして否定し続け、最後に肯定するに足る自己が立っていればいい。そうやって、そうやって、ずっと行くしかないように思える。
歩きつかれて、ふと立ち寄った場所に黒猫がいてくれればいいのだけれどね、そう上手くはいかないようだ。いつも出会っていたはずの白い猫でさえ、俺の前に出てこようとはしない。猫は、きっとあの日見かけてしまったときから、象徴となってしまったのだと思う。黒猫に横切られれば不幸、そんなくだらぬジンクスと同じように、出会えれば幸せだったのだと、過去を肯定してやれる、そんな存在なのだろう。肯定が欲しい。あの子からでなく、あいつからでなく、自己からの、肯定が。そのために。


日々はある。



慌てないで、君の心よ。慌てないで。悲しいことになんて絶対にしたくないんだ。これが偽善ならば、俺のすべては偽善さ。