魂と心臓が止まっている

そうして、彼女は笑うのであった。言いたいことがあった、しかし、それをその場で叫ぶ時代はもう終わってしまったのかもしれない。感情を押し殺し、あるいは誇りをねじまげて、それでも堂々とたっていること、存在を証明すること。僕が世界を愛するならば、世界は僕を殺したりしない。


小説を書いている。ストーリー性、エンターテイメント性は明らかに欠如している。なんとかせねばなるまい。

 黒猫が目の前を横切っていって、それから立ち止まって僕のほうを見た。僕もだまって猫を見ている。数秒たって、フッ、と鼻息漏らして(僕にはその音が聞こえたような気がした)、どこかへ走り去っていった。
 なに、つまらない男だ、猫に見放されたってどうだって言うんだ。

(中略)

 東の空が白んでいる。時間はもう朝に近かった。朝焼けは、今日は見られないだろう。見たくもない。気づけば川の傍らを歩いていた。流れる向きと、同じように。水は高いところから低いところに流れる。どうにか安定するほうへ、また、大海へ。空から降り注ぎ、山を下る、山の頂上や空高くは確かに素晴らしいだろうが、川として流れている時々に、川の水として存在意義は明確になる。堂々巡りの水は、巡ることだけが目的であっても、その存在意義を求め続けているのだろう、と思った。どうにもセンチメンタルでいけないな、とも。水に意思などない、なんて誰かに笑われることだろう。僕を笑ってくれる人を、僕に笑ってくれる人を、僕が必要としているのだから。
 Fブルースで曲を作ろうと、そう思った。あの猫は追って欲しかったのかもしれない、鮮明に思った。

尊敬は愛情にならないのだろうか。それとも、愛情が尊敬にならないのだろうか。愛情が大きすぎるゆえに求められなくなったのか、求められないから愛情が大きくなっていったのか。夜は答えを求めるが、本当のことなど、何が本当かなど、俺はどうでもよくなっているのだ。答えは夜の風の中に。