発狂、そしてその現実とは

あの人に会うために寝てばかりいた。夢の中で僕はエロいことをいっぱいした。これが抑圧された性欲の表れだというならば、僕はずっとあの日に憑かれたままなのだろう。

「いい関係でずっといるのって、難しいことなんですかね。いつのまにか疲弊している気がします」
「それは具体的な話かい? それとも抽象的な? ま、どちらにせよ愚問だね。いい関係も悪い関係も、幻想だよ」
「幻想、嘘だってことですか」
「いいや、本当だって思い込みたいだけなんだよ。真の関係があるなんて希望が関係を形作る。けれども、そんなものは存在なんてしない。あるのは、運のいい関係と運の悪い関係だけだ。たまたまが偶然重なってできたものを、必然だと信じたい運命論者のたわ言さ」
「悲しい気がします、そんなだと」
「いいのさ、あたしは運命を信じられるほどロマンチストだから。論理と感情は別だよ。例えば偶然に好きな人に出会っても、あたしは必然だって、そうやって思うんだから」

目が覚めて、恐ろしくなって、ただ眠ることだけを求めた。現実はここにはないのだと幻想を信じた。


さて。
休憩がてらネットの海をうろついていたら、どうやら昔、即興で書いたもの(原子力潜水艦マンボウを交換したwww)がニコニコ動画にアップされているようで。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4837414
今となってはほんとに懐かしいものです。何年前になるのかな、書いたの。こういうメソッドで文字を読むというのは面白い発想だなあ。ただのノベルというよりは、BGMやSEがついて、とてもサウンドノベル的になっている。
今読むとやはり、文章の甘さや荒さが気になる。とても自己完結的で、読ませるということを意識していない(今できるかどうかは別として)。ストーリーの作りも甘い。新しいものを書かねばいけない気がしている。最近書くものは、あまりにもストーリーがなさ過ぎる。ここに書いているものは、あまりにも散文だ。また、ここに書かずに貯めているものも、小説というよりは、散文に近い。ストーリーを、流れを重視しなければならない。