湿度二万パアセント

俺は、俺のことをひとつも知らぬ人間に俺のことを話したくはない。話を聞かせる相手は、誰でも良いわけはない。これは大事なことだ。俺は、俺の愛する人に語りたいのだ。愛する友人たちは俺以上に俺を知っている。俺の根源的な部分を未だに自分ではわからぬままだが、愛する友人たちは抽象概念として俺のそれを把握している。俺は暗闇の中で泣く一人の子供である、しかし、彼らはその闇の外側を知っている、その闇が何に包まれているかを知っている、それに、暗い中に俺がいるのも知っているのだ! なんとありがたい話だろうか。俺は感謝してもし足りないくらいだ。だからこそ、俺は安心して語ることができる、彼らもきっとそうなのではないか。そこにあるはずの共感、あるいは繋がりというものが幻想に過ぎぬと、確かに存在するのを証明できぬと、あの厭世者が言ったとしても、俺はその存在するを信じる。そうでなければ、俺の生きているは嘘にしかならぬからだ。俺は真理のもとに生きたい、そう希望している、信ずるのだ。俺のことを一つも知らぬ人間、俺のことを一つも知ろうとせぬ人間、そんな輩に何を言っても俺は満たされることはない、俺はそこに一欠けらの意味も意義も見出すことができない。関わり合いは殺し合いである、けして馴れ合いではない。表面上だけで行ってどうする、全ては心の臓腑のぶつかり合いだ。あの夜の悲しい俺を殺さねばならぬから、俺は語るのだ。馴れ合いなどするつもりはさらさらない、愛することは命がけだ。
昔、俺は他人の考えるを自分の言葉で表してしまうのを極端に嫌っていた。今も、少しの違和感をぬぐうことができない。俺の考えると彼らの考えることは違う、それはどうしようもないことで、確かめようがないことだ。俺は怖くて仕方がなかった! 夜のたびに怯えていた。俺の考えは誰にも理解されず、まるで世界に嘲笑われているようだと、そう感じていた。理解されたように見えても、俺と相手の思考は完全に同じでなく、全く別の概念として吸収されているのだと。恐ろしくて仕方がなかった。今でもそう思う。けれど、今は、それでいいと思える。恐怖が全くないと、俺はそう言い切ることができない、今でも俺は怖くなる。だが、今の俺は、少しだけ信じることができる、信じたいと思える。日和っただけなのかもしれない、ずいぶん丸くなったものだと、あの人は笑うかもしれない。だが、俺はただ俺の愛する人を信じているだけなのだ。俺にできぬことを、笑顔で、あるいは辛い顔ででも、彼らは行う、それが素晴らしくて仕方がない、愛しくて仕方がない。また、彼らの一言一句、一挙手一投足が、俺の琴線に触れる。いくらかの夜を過ぎて、俺は彼らの思いを、少しだけ代わりに言うことに、自己の傲慢を感じなくなった。これは良いことなのだろうか、俺にはわからぬ、しかし、大事なものであるように思う。


たとえ彼らが俺の希望を殺しても、俺は彼らを信じていようと思っていた。それは間違いであった。そもそもね、俺は思うよ。前提から間違っていたのだ。彼らは、俺の希望を殺さない。これは、とても、真剣な、信頼だ、真理だ。俺のこの言葉を聞いて、鼻で笑った少女に俺は言う。これが浅ましい考えならば、俺は一生浅ましい男でかまわないさ。


俺は、自己の内に潜む稀代の才能を信ずる。それと同時に、表面上の全て、有象無象を認めざるを得ない。人に好かれるという経験があまりにも少ない。乏しい。ただ記憶にないだけなのかも知れぬ、俺がそれを意識していなかっただけなのかも知れぬ。どうしても身震いしてしまうのだ。ハ、腰抜けの男ヨ。うるさいよ、据えられたら食ってやる。へ、たわ言だ。性欲塗れのくだらぬ男よ。
喧騒の中で全てははじまり、静寂の元に帰結する。より美しい、静寂を願う。