思い返すことの意義

2006年10月14日。
http://d.hatena.ne.jp/shu444take/20061014
俺は全てのことをやめようと思っていた。たまたま見返し、その衝動を思い返す。
恐怖であった。俺を支配していたのは、不安と恐怖であった。自分があまりにも偽者で、他人があまりにも偽者で、世界はあまりにも偽者であった。俺は、本当ということを知らなかった。だけれど、今はどうか、今は本当を知っている。そう信じたくてたまらない。ひっくり返すこと数百の中で、俺は幾つかの真実を見つけた。あの日は、覚えている限りでは、ひとつだけ嫌なことがあったのだ。いつだって、黒い一欠けらが僕の白を台無しにするよ。

なぁ、努力を放棄したなどと薄ら笑いはもうやめにしないか? ここまでしか力を出していないのに、こんなにできた、だから俺は凄い、などと。ふざけるな。冗談も程々にしろ。そんな口は縫い付けてしまえ。所詮、限界などそこまでだ。限界能など一生出るべくも無い。かっこつけが嫌いだ。ただだらだらとして、全てを見くびった顔で、結局薄ら笑いだ。あぁ、糞が! 誰の話だ? 俺だよ、俺。あぁ、糞が。知ったふりも、嘘も何もかも、吊るされろ。


さぁ、眠る時間だ。

『吊るされろ』と、俺は言った。非常に鋭敏な言葉だ。あの日、破壊力のある言葉を書きたかった。破壊と再構築をずっと目指していた。だというのに、再構築などできぬと思っていた。それより前に、第一、俺は自分を殺したかった、破壊したくて仕方がなかった。思い返せば、俺は死にたがりではなかった、殺されたがりであった。しかし、悲しいことよ! 俺は俺を殺すだけの力は持っていなかったから、俺は俺に殺されたくなかった。俺を殺すのはもっと巨大な存在でないといけないと信じていた。いつか、巨大な恐怖が俺を殺すのだと思っていた。ぼんやりとしたものを見かけると、きっと巨大なのだと信じ込む癖がついていた。
俺はまだ生きている。このことを俺が感謝しないわけはない。ぼんやりとしたもの、その周りの霧をはらうのは、いつだって愛する人の言葉であった。俺は、俺を愛してくれる人の、その愛につりあうくらいの真理をつかねばならぬ。恐怖がたいしたことでなくなるのは、全て俺の愛しき人が笑ってくれるからだ。
今の俺は、とんでもなく日和っている。鋭敏な言葉がまるで出ることのなく、ただ安穏に愛をつぶやいている。ただ今日の幸せを思え。あの日俺が殺したかった自分をきちんと殺しなおすのだ。殺すならば、巨大な愛で殺せ。そうして、再構築。