接続彼女

今は魔界都市、インターネットというのは脆いもので、ハードがそろわねばどうにもならないね。小さな個室で煙くゆらしながらこれを記している。愛用の銘柄がないというのはさびしいもので、仕方なく昔の記憶を引っ張り出して吸い込んでいる。神田川の桜がきれいで、cherryを思う、あの煙には喉を殺す強さがある。痛みは実感だ。もっと惨めな未来を僕にくれ。繋がれる日をただ待っている。


僕らはみんな繋がれる。これは言葉遊びのようなもので、いくらかの揺らぎを内包している。あの夜、喧騒のうちにすべてが終わったように、ロックンロールの中で死んでもかまわなかったように、本当のことは繋がりというそれだけのこと。愛も絶望も欲望も、さよならの言葉さえもつながりだ。愛し愛され夢の中、気概と暇さえあれば繋がりを持つことは難しいことではない、本当の愛を、真実の繋がりを持つことは非常に難しいけれども。幸せに至る方法論はいくつかあって、その中ではあんな夜が、叫び続け、踊り続けた数十分が、僕にとっては最も理解しやすいのだ。頭狂って不思議な中では、単純でないとわからない。あの夜を繋がりと言わずになんと言う。美しかっただろう。暴れたことのないリストカットの女の子が跳ねて、自殺志願の男の子はまるで阿修羅のようだった。憎しみの夜は殺せたか、悲しみの朝は壊せたか、俺にはわからぬが、そうあるように願う。ね、これも繋がり。すべての人間存在が幸せであるように願うこと、だ。
僕らはみんな繋がれる。狂犬のように、囚人のように。大事なのは、その枷を自己意思としてしまうことだ。たとえカルマであっても、自己意思で背負うのだ。自己意思でない首輪は、思わぬときにきつく締まる。乗りこなしてしまうことだ、それができねば、少なくとも、信じるだけでも世界は変わる。何もかもを自己意思で行え、少しの強制も認めるな。従わねばならぬときは、自己意思の元に従うのだ。殺されたまま死体で動いてたまるものか。崇高なる魂の元に死ぬのだ。


俺はろくでもない男だから、好きと言われると嬉しくて仕方がない。世界はやたらに狭いもので、何度か同じようなことが起こるものだ。二度あることは三度、という言葉だってある、昔から言われていることは起こりやすいから伝承されているのだ。常識だって同じこと。あの人も、そういえば、偶然の出会いであった。
部屋に戻ったら奈良美智を壁に張ろう。
らぶ。