LOVE LOVE LIVE

熱い気持ちを嘘みたいな台詞で語ることほど楽しいことはない。最適な時間は夜で、愛の多ければ多いほど良い(愛と人数を乗算したものが多ければ多いほどハッピーだ)。独特の匂いの液体と、煙のあれば更に良い。別段死にたいわけで無くとも、思考の揺らぎ、世界の素晴らしさを思う、ただそのためだけに。世界はいつだって平和だ。焦りが苦しみを呼び、怒りさえも呼び起こす。主観で暮らす時間も大事だが、位置の確認が前提だ。僕とあなたがたと、位置はすべてわかっている。だから、主観で過ごそう。後ろ向きも前向きも、客観で決められてたまるものか。俺はいつだって進むか止まるかしか能が無いし、落下の際でさえどこかわけのわからぬ場所を進んでいることのある。主観で過ごそう。停滞と見られても、足が踏み出せている意識があれば良い、後ろ向きと見られても、自分が前を向いていればいい。
あの日、首都へ向かう時速三百キロメートルの中で、家畜のようだなと思ったのを覚えている。飼料のように煙を吸わされているような、自分でやることが大事だ、自分の意思で愛を叫び、自分の意思で抱きしめよう。ただただ流れるだけの時間に、転がるだけの意識で動いていては駄目だ。何を食っても同じだし、何を見ても何を聞いても同じだ、等しく無価値となる。愛すことに必死になって、愛せ。らぶ、叫ぶのは、いのちがけでやらねばならない。それも、普通の顔でやってのけねば。


みんな置いていくんだ。そして、みんな持っていくんだ。昨日はすべて昨日に置いていけ、思い出にして置いていけ。今日から全てを持っていけ、情熱にして持っていけ。どちらでも同じことだ。全ては喧騒の中に過ぎ去り、一抹の切なさと幸福感の内に帰結する。愛を残さず持っていくことだ。向けられた愛、向けた愛、とりとめもなく流れる会話のうちから拾え、熱い言葉の中から拾え、吐く息の白さから、拾え。


愛している。