或いは残骸として

この前あの子に褒められて、可愛い子でね、嬉しかったな。きっと、あの子にとっては、まるでたいしたことではなくて、俺が勝手に喜びすぎているだけなのだろうけれども、それでも。ね、ありがとうね。
誰かのために書くでない、俺はいつだって自分のためにしか書けはしないし、それでは傑作を生み出し得ないのは良く知っている。リハビリのようなものだと言った。自己啓発のためのものだと言った。きっと、意識的に、無意識にやるのがよっぽど好ましいのだろうが、人のために書くということも覚えないといけないのだろう。俺の救える世界など無い。俺の救える人などいない。けれど、俺の一文字によって、一文によって、愛する人々の目の前の世界が、美しい人の涙が、少しだけでも綺麗になるようにと願う。


取り残された俺と、少し進みすぎたあいつと、冷たい夜だけ取り外されて、晒されてでもいる気分だな。寒くなって、寂しくなった。烏龍茶の熱さだけが頼りだ。cherryはやはり美味くて、救われる。風向きによっては目が痛くて辟易するけれど、それもまた現実感を呼び戻す。必死に捜し求めて、疲れ果ててもなお、桃源郷の存在するを信じるのか。理想郷は、きっと、何処にでもあるが、何処にもないものなのだろう。愛する人、熱燗に、cherry。あまりにも綺麗な幻像が生まれるのはその場所だ。集まれば集まるほど弱くなるけれど、あの子と一緒に行けるのなら、僕は今よりずっと弱くて良いよ。怖い夜だって話していれば昼と同じ、壁があっても手をつないで他の道を探せばいいさ。日和ってんなよ、と君に言われるかな、それでも、幸せに暮らすことこそが愛だ。
言葉と音楽だけ、研ぎ澄まさねばならない。かけらだけでも持っていると信じている、抱えて、走る。持っていけるのはこの身一つ、中にあるのは、気取った台詞と惰性の音よ。似合わないのは知ってるさ、似合わないからこそ言わなきゃ駄目なんだろ。本当のことを、恥ずかしがって言えないことや、怖くて口が出せないこと、言わないと駄目だ。燃料にもなりはしないのだから、嘘と欺瞞も尽く捨てて行こう。


タテタカコさんの(音楽家の話なのに「さん」と書くのはバンド名ではないからだ。バンド名なら別だけど、人名そのまま呼び捨ては良くない気がする。吉野御大なら御大ってつけるもんな。ん、でも外人だと呼び捨てるな)心細いときにうたう歌って曲がびっくりするほどいいのでアルバムを買いたくなりました。凄い歌い手だ、うむ。こういう時にyoutubeって便利だよ。