悲しいな

「ありがとね」
「……うん」
「死なんでくれて」
「……うん」
「ありがとね」
 迷惑かけてしまったな、と僕は歩いている。
 街は夕暮れ。河川敷、鉄橋、前を行く彼女の髪、紅く染まる。
 彼女の髪だけはもとから紅いのだけれど。
 二人して歩いている。
 二人して、並んで歩いている。
「シロちゃん死んだらさ、私、夜に話す人おらんよーなるから」
「俺よりもマシな奴はいくらでもいますよ……ユウさんはいい人だから、いくらでも友達できるって、思います、その、作ろうとさえ思えば」
「友達なー、友達な」
 ユウさんはぽかんと口を開ける。
「友達って何だろね」
「何でしょうね」
「シロちゃんと私って友達やんね」
「……そうですね、友達ですね」
「だったら、他の人とは友達じゃないな、私」
「そうっすか」
「そうっす」
 誰ともすれ違わない。
 遠くを電車が走っていく。
 永遠に続けばいいのに、この人と並んで歩く時間が、永遠ならばいいのに。
 ずっと美しくあればいいのに。
 永遠に続かないから、美しいのだろうか。
「死んじゃうから綺麗だって言いますよね、花は枯れちゃうから綺麗だって。くだらねーと思いませんかそんなこと」
 彼女は答えない。
 別に答えを期待しているわけではなかったから、それはそれでいい。
「ね、エッちゃん、花屋になるんだって」
「花屋?」
「エッちゃんさ、小さい頃から、夢だったらしくてさ、喜んでた」
「夢ね」
「花、買いにいこっか、そのうちさ、日曜の、天気のいい日に」
「行きましょうか」
「花束買うのね、うん、それで、供えよっか」
 僕は答えなかった。
 全部確定してしまいそうで、曖昧なままだった景色が歪に固定してしまいそうで、恐ろしかった。
 恐ろしかったけれど、口を開く。
「死ななきゃいけないって思ったんですね」
「うん」
「俺は、もう生きてられないって。もうどうにもなんないんですよ、街を歩けば屑ばっかりだし、世の中いよいよ面白くないし、俺はいつのまにか弱いもの気取りで何にもできなくなってるし、青春のはずの学校は嘘ばっかりだし、大事なはずの友達は欺瞞ばっかりだし、つまんねぇ暴力ばっかりで、それこそいまだに戦争はなくならないし、嫌になったんです。馬鹿言ってるわけじゃないですよ。有象無象が偉い顔して歩いている。直接的にはね、だから、屑みたいな奴らがチカちゃんのこと笑ってたんですよ。笑ってたんですよ。屑。屑野郎。俺の前で、チカちゃんのこと、笑ってたんです」
 馬鹿野郎、と僕は言う。
 馬鹿野郎、と僕は呻く。
「何であの子が、と思いますよ。何であの子の手首には傷があったんですか。何であの子の足には傷があったんですか。何であの子はいつも眠そうな目をしてたんですか。何であの子の手足はあんなに細かったんですか。それなのに、やっぱり嘘だって、屑だって、馬鹿にされるんですかね? 死んじゃったのに! ただのキチガイだったねって、言ってしまえばそうですよ。あの子はキチガイだった。だから何だって言うんですか。何であの子が、死んだ後も馬鹿にされなきゃなんないんだ」
 僕の蹴った小石が、二度、三度、跳ねて、止まった。
 馬鹿野郎、と僕は泣いた。
 あの屑野郎どもに涙を向けるつもりは無い。この涙はチカちゃんへの涙だ。
 チカちゃん。
「悔しかったのかな。泣いてたのかな。俺にはわかりませんよ。俺にはなにもわからない。嫌だな。俺が一番チカちゃんのこと、知ってなきゃいけなかったんだ。だけど、俺はあの子のことを何にも知らないんだ。笑ってることしか知らないんだ。知らないけれど、俺は思うんですよ。あの子は、生まれてから一秒も間違ったことなんて無いんだ。あの子を全肯定してしまうことに、僕は何の抵抗も無い。あの子が何で死ななきゃいけないんだ。何で俺に言ってくれなかったんだよ。俺は何だったんだよ。チカちゃんさ、何で死んじゃったんですかねぇ。何でなんですかねぇ」
 ボロボロと話す僕に、彼女は、今日うち泊まりーや、と言った。
「シロちゃんね、だから、シロちゃんは、できるだけ死なないでくれると嬉しいなって、思ってる」彼女は、ふぅ、と一息吐く。息は白くならなかった。「シロちゃん死んだら、私もきっと泣いちゃうから、シロちゃん死なないといいなって思うの。チカちゃん死んじゃって、あのね、考えたのね。いなくなっちゃうのって、悲しいなって、そう思ったの。シロちゃんがチカちゃん好きだったのに、チカちゃん死んじゃってさ、私はシロちゃんのことが好きだから、シロちゃん死んだら駄目だなって」
 ありがとうございます、と僕は言う。
 もうやめようと思います、と僕は言う。
「くだらないことはもうやめようと思うんです。本当のことを僕は言わないと駄目だって思うんです。偽善も欺瞞ももううんざりだ。それで、何も変わらないかもしれないけれど、本当のことをしないと駄目だって思うんです」
「……そうだね」
「チカちゃんのために、本当のことをやるんです。チカちゃんみたいな女の子を、これ以上見たくないんです。くだらねー、と思いますよ、自分でも。馬鹿だと思います。例えば、音楽で、何年かかるかわからないけれど、本当のことを、俺には今、それでしかぶつけられないから。やろうと思ってるんです」
「シロちゃんの音楽好きだよ、私」
「俺は、だから、音楽で死のうと思ってます。ユウさんが好きだって言ってくれるから、そんで、俺はもうユウさんに生かされてるみたいなもんだから、音楽で死のうと思ってます。同じところに通うのは無理だって、これまでの短い人生で、ですけど、思ったんです。向いてないのかもしれません、そういうの。だから、音楽で死のうと思ってます」
 それがいいよ、と彼女は笑った。

俺は、奢り高ぶって、自分をたいしたものだと思ってる、そういう自分を殺さないといけない。