俺の最後の運命

何故だかくだらなく思ってしまうの。気持ち悪いな。嫌になっちゃったな。
酒も煙草も駄目だ! 溺れても仕方ない! 逃げてるだけだよそんなのは! だってそうでしょうよ。かっこわりぃな、ってさ、俺は駄目だな、ってさ、俺はよくそんなこと言いますけどね、そいつは自分に酔ってるだけでしょうよ。かっこつけ野郎だな、そんなのは。死にたいだとか、ぶっ壊れちまいたいだとか、世界は屑だとか、俺は屑だとか、ぜんたい面と向かって誰かに言っちゃいけないことなんだ。ずうっと心に秘めているのが良い。恥を晒して分かり合うだとかね、そんなのは嘘だよ。ここでこうして、俺は恥晒しだけれど、端から矛盾だらけだけど、そう思うの。汚いものは誰かに託してはいけない、押し付けてはいけない。俺は人の清いを信ずる、そして、自己の清くならねばならぬという切迫をいつだって感じている。穢れを誰かに渡しても、俺は綺麗にはならない。それどころか、俺の中とあいつの中、ふたつになってしまう。
俺は場から離れないとな。やっぱり俺には似合わないや。それじゃあね、俺は救われないんだな。あんた方がそれで救われるのなら、俺はこれを否定しない。人が救われる方法論はけしてひとつではない。しかし、これも駄目だったか、別の方法論が必要だ。俺にとって、一過性の幸せは駄目だ。そいつを俺は幻と呼ぶ。幻は現実を殺す。過去の希望は未来の絶望だ。体を使わないと駄目だ。体と、精神だ。格好良く飛び跳ねて、叫んでやらねば駄目だ。あの、安心しきってる奴の、幸せぶってるドブ野郎の、鼻っ面をへし折ってやるような事をしないと駄目だ。それだけで俺が救われるべくもないが、少なくとも確実に、ひとつの突破口にはなる。
知識が必要だ。言葉が足りない。


朝に雨が降っていてさ、あぁ、良い休日だな、と思ったのにね、すぐやんでしまったの。寂しいね、もったいないね。雨の休日はいいよ。雨だって思ったから、いそいそとCD探したのにね。キリンジのね、雨は毛布のように、が入ってるアルバム。あれ、いいんだよな。
キリンジといえば、グッデイ・グッバイって曲があるんだけど、そのPVに出てくる喫茶店の雰囲気が凄くよくてね、生き終わったら、あんな店をやりたいなって思うの。曲自体も素晴らしくてね、透き通っててね、好きだよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=a28pRK9cPnM