愛と呼べ

書く理由が見つからずに、怠惰でいる。強い意志に突き動かされるように書ける日もあれば、ここら最近のように寄る辺無い日々もある。誰か、真実の愛を向けられる人と語り合えればいいのだがね、そうしさえすれば不安など立ち消えてしまうのだろうけれどね、どうにも俺の愛は腐りきっている。
俺は、そう、何処か綺麗な海の近くでゆるりと暮らせるならば、もうそれだけで良いとさえ思ったのだ。信実の愛をもたない人間は孤独なものだ。孤独と俺の言うのは、寂しいと感じるなどという意味ではない。腹の底からは誰も信じず、独りで生きねばならないということだ。要は、生き方だ。孤独とは強い生き方である。愛のない人は誰しも世の中に、大海に漂う木切れがごとく、独りであることを理解せねばならない。加えて、傷の舐めあいを愛とは言わない。馴れ合いを愛とは言わない。仲良しごっこを愛とは言わない! 愛とはもっと純粋であるべきだ。故に、真実の愛を知るまでは、人は独りなのだ。それなら、一遍とて頼らずに生きていければよいのに、愛を知るために彷徨い歩くだけならば! そう思う夜もある。けれども、やはり、俺というものが、夜を恐ろしく思い、壁を嫌い、人を願うのだから、俺には捜し歩く日々も必要なことなのであろう。