何も伝えたくない

あいつのことがかっこいいなと思ったらね、今までの俺はもうずっとそんな気持ちだったの、死ぬまでそうだろうと思っていたし、きっとそのときの俺にはそうであった。だけど違うんだな、俺はどこかで、一度死んだのかもしれない。知らない土地で、違う名前で、眼鏡を新しくするような気軽さでさ、明日から暮らそうとかね、考えちまってたからかな、俺でない俺が、俺のような顔をして部屋で暮らしている。コーヒーをありったけ飲み、紫煙は嫌っている。かっこつけの奴らが俺を格好悪いと笑っている、屑人間がゴミ人間を笑い、ドブ人間は嘘人間を笑っている。
愛しさとは、と語り始める。喜びとは、と語り始める。愛について、幸せというものについて。美しいものだけ語っていたくて、ほら、ごらんよ、美しいだろう、語る、歌う。けれどもちっとも美しくなんてない。俺の指差す先には薄汚れた小さな部屋、かすれた音で嘘が流れて、散らばる本は白紙なの。
今年の夏というのは馬鹿になっちまうくらい暑いから、プールに行かないといけないね。海は嫌だよ、塩辛いから、瀬戸内海には殺意を覚える。俺の好きだったあの人は大人になっちまって、俺の知らない奴とベッドの中で一晩過ごすの。だから、俺は子供みたいにはしゃがないといけない。嘘だの裏表だの、ぶっ壊れちまえばいいんだ。


あんな犬人間しかいないのだったら、誰しもの心の中に、総じて犬人間がいるならば、それこそ地球はもう終わりだ。僕の愛する人などいないし、必死に待つなら、その時間雨曝しにでもなっていた方がましさ。雨は何かを教えてくれるという。ずぶ濡れ帰る猫ならば、濡れない道を探すがいいさ。