かっこいい教

 世の中はねえ、ぜんたい何か怪しいものに操られていると思いませんか。思わない、それもいいでしょう。僕は思う。あなたの考えがどうだってかまいやしないさ、あなたが、僕が、どちらが間違っていますか? どちらも間違ってなんかいやしないでしょうよ。あなたが気づいていないだけかもしれないし、僕の思い込みなのかもしれない。ずいぶんな物言いだ、ふざけていやがる。そう思うのもあなたの勝手だ。どうぞご勝手に!
僕はそいつの正体を突き止めたのだ。いやあね、実を言うと正体も何もあったものではない、薄もやに包まれたぼんやりとした姿なんだ、だけれども、さも明確な意思を持っているかのように振舞う。


 そいつの名前はかっこいい教という。


 僕が名づけた。洗練されていない? いいでしょう。野暮だ? よろしいよろしい。そんな文句が出ることはわかっている。もうあなたとは関係するつもりは無い。なぜって、あなたもかっこいい教の一員だからだ! 僕に近づかないでおくれ。
 恐ろしい恐ろしい。
 そいつが、かっこいい教がこれ以上の名前を欲している、と僕が感じるとき、僕はもうかっこいい教に洗脳されかかっている。僕はこれ以上の名前をつけない。これが最終だ。かっこいい教、この程度の究極が奴らの正体だ。奴らは所詮ここどまりだ。かっこいい教にだまされるな。
 かっこいい教は君たちにかっこいいを押し付けようとしているぞ。つらい夜、何も無い昼間に忍び込んで、君の脳をのっとろうとしているぞ。そこら中に奴らの経典が転がっている。その本は奴らの経典じゃないか? そのCDは? その言葉は? その色は? その流れは? 気づいていないのか。


 それとも、気づいてもなお、狂った宗教を続けているというのか。僕には耐えられない。僕には耐えられない。僕には耐えられない。僕には耐えられない。


 女と、死んだ人がいる。一人で死んだ人もいる。僕ら人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない、そう言った人は過去のために死んだ。これこそ宗教だ。全部宗教だ。心中するのが美しいのだ、一人で死ぬのがかっこいいのだと誰かが囁いたのだ。伝えたのは誰だ。
 僕は知っている。


The Damnedが熱すぎる! 最高だ! 何でこんなものを聴いていなかったんだろうね、俺は。