平穏と退化

みかんの缶詰だけが美味くて、あとのものは食べるに値しないから、それだけを食って過ごす。栄養など不必要だ。俺は動くことさえ自らに期待しない。俺は考えることさえ自らに期待しない。俺はあいつをぶっ殺すことさえもどうだって良くなってるんだ。俺の好きだった人が、これからどう生きるのだろうかとか、そんなことばかり考えていた俺は死んだ。全く無くなってしまった。
音楽も何も無くなってしまった。創造ということは、もとから無かったのかも知れぬが、外部から入ってくる音は煩わしいばかりである。文字は意味を失い、文様にしか見えぬ。今こうして打っている間でさえ、一歩踏み外してしまえばすべての意識は拡散し、俺が俺を捉えられずに、文字はゆらゆらと浮遊しだす。音楽のなんと陳腐なことよ! 文学の、なんと無為なことよ。感動も感激も等しく意味が無い。高揚感も無敵感も、一時の情動に過ぎぬし、傍から見れば狂った宗教と等しい。
ただ、落ち着いているのだ。

一人の夜が怖いから、あの子のことを思っていたの。思い出がつらいのに、あの子のことを思っていたの。

思いが失われてしまったというのは、悲しいことなのだろうが、悲しささえも今は失っている。俺の、無頼な、けれど美しきロックンロールはどこに消えた? わからぬ。俺はいつだって、俺のことを消えてしまえば良いだとか、思っていた。だけれども、消えようが消えまいが、そんなことにはちっとも興味が無いのだ。奴らが死のうが生きようが、あいつの恋がどうなろうが、どうだっていいのだ。意味がわからぬ。そんなものを思う意義が見つからぬ。くだらぬ。つまらぬ。愛しき人がいた、そのことはただの過去だ、今この時には思い出でさえないのだ。愛すべき友人たちがいるということを、俺は疑わぬ。疑わぬが、それがなんだというのだ、俺が彼ら彼女らに何かをして、何かをされて、関係が生まれるのだが、関係は必要なのかね。俺は言う、必要ではない、と。それどころではない。全てのものは、今の俺には必要ない。性格にはみかんの缶詰をのぞけば、だ。みかんの缶詰だけで生くる俺に、すべての事象は不可解にしか過ぎぬ。
必要である、必要でない。その言葉は下らぬね。必要性でもって俺は繋がるのではない。俺が繋がるのは、俺の心が欲したからだ。必要などという浅い意識は超えちまっているのだ。


あぁ、腹が減った。