苦い壁

 早朝、語る。

 あぁ、死んだ、と思いました。命とはつまらないものだ。死んでしまえばどうにもならないよ。これまで色んな人が死について考えた、どんなに立派な人だって死を考えない人はいなかったでしょう。それでも意味はないんです。意味など存在しえないと僕は思う。目の前で死んだそれを見て、僕はそう思いました。
 けれど、そうだ、全く別って訳じゃないが、関係はしているが、話を変えましょう。人は死んでしまえば人でなくなる、モノになってしまう、そんなことを言いふらす輩が多すぎると思うんです、僕は、今度ばかりは、そうは思わない。人は死んでも、少なくともね、少しの間だけは死んでいないと思ったのです。熱が残っている、動きが残っている、生きていた頃の惰性で、死んでしまっても少しは生きているのです。温かいのだ。それを中心として湯気が立っていました、温かいのです、少しの間は。臭ったことのある、けれど二度と臭いたくもない、あの傷口から香るいやらしさが鼻を突きました。あぁ、生きているな、僕は思いました。赤が凄く綺麗だったのです、吐き気がしました、あまりに綺麗だから、頭が痛くて、吐き気がしたのです。
 死体を綺麗とは思いませんでした。死体は死体です。気持ちの悪い、不気味で、おぞましい。死んでいたのです、美しいはずがない。あぁ、そうだ、死んでからもう一度死ぬまでは、生きている死体なのです。赤茶けて汚くなってしまうまでは、死んでいるけれど生きているのではないですか。違いますか。違うとは言えないはずです。違うと言うなら、それは僕の理論の否定でなく、僕そのものへの否定に過ぎません。その否定はつまらない。罪もないものを殴った輩が、社会が悪いなどとぬかすようなものです。

 わからないのです。倫理とは何か、常識とは何か、そういえば、社会とは何かも。どうやら間違ってしまっているようなのです。自分が異常だなどと言って喜んでいる輩については、きっと僕は一番嫌いですから、自分がそうであるとは思いたくない。自分がどこか間違っているとは思いたくない、普通がいいのです。しかし実際僕は間違っている。どこから間違えたのか、どうにもずれているようなのです。
 世の中はつまらないものではない、と僕は言います。あながち捨てたものではないでしょう。自分を異常だなど喜ぶ輩は、決まってこういう時、世の中はつまらないと言います、自分は世の中に向いていないのだなどと言います。嘘だ嘘だ、まるっきり嘘っぱちだ。君らのために皆が何を思ってくれているか知っているか。知っていてそんなことを言うのか。世の中は美しいのです。いえいえ、世の中は既に理想境だなどと言うつもりはないのです、もしそうならば、新しき村が生まれてくる所以がない。それでも世の中は、素晴らしくできていると思います。良くできている。こんなにもたくさんの人がいるのに、みんな世の中というものを信じているのが素晴らしいと思います。それで、僕の嫌いな輩は、こういう時にまた決まり文句を吐くのです。世の中を信じちゃいない、世の中に信じられてはいない。だったらなんで生きているんだ、君は。死んでいる途中だとでも言うのか。


 そのような類のことを語ったのですが、あぁ嫌だ、どうして世の中とはつまらないものだ、などと、思ってしまいました。まったくつまらないような顔をして、道を人が歩いていくのが見えたからです。
 それがまるで死んでいるような顔だったのです。もしかしたら本当は死んでいて、それで死ぬ前だったのかもしれません。寝る前に鏡を見たら自分も死んでいるようで、だからもっとつまらなく思ったのです。


頭の中何もないのに、書いて、夕飯を何とか胃袋にぶち込んで帰ってきて、読み返したら全く良くわからなかったけれど、一応置いておく。
文字を書くのが凄く難しい。音を出すのも難しい。難しくないことは、やるのがつらい事ばかりで、恐ろしいばかりで、俺はどうすればいいのだ、どうにか全てが簡単になってしまわないか、と願う。しかし全てが簡単になってしまえば、全てがつらい事になってしまう気がして、怖い。簡単な理屈だから、それ自体は、恐ろしいものだ。