FUSHICHO

お疲れ様、だ。初めて、凄く、楽しかった。皆、今日は騒いでいるころだろう。俺はただ眠ることとする。ただただ、君ら、お疲れ様、だ、とんでもなく輝いてたぜ?
きっと、僕らはみんなつながっている、なんてたわ言は、リアル過ぎるほど現実だったのだろうと思う。悔しさや痛みなんてさ、この高揚感の上では無意味だったろう。張り裂けるほど喉を使ったおかげで、本当に裂けちまったのか、痛い痛い! 血の味ばかりするが、それもよし、今日はお疲れ様、だ。青春ってこういうものだよねー、とかなんだとか型にはまりすぎたものを嫌う癖は抜けきれていないが、今日はベタでよかった。最後さ、負けちまう辺りがなかなか素敵だったじゃねぇの? それですら、ハッピーエンドだろ、多分。水平以上に頭を下げるとずきずきしやがる、血管の一、二本でも切れちまったのかもわからんが、いつも通りだ。


さて、俺はそうさ、ひたすらに睡眠。この高揚感を、次の、いや、いったん打ち止めになっちまう爆発に向けて、心に留めておく。恐らくは、本当に恐れているのだが、あいつらとやれるのも最後となっちまうだろう。最後ぐらいさ、ハッピーエンドでいこうや。何度行ってきたかわからぬことを、何度でも言うのが、一番かっこいいのかもな。飽きられる前に燃え尽きてしまうのも。


あ、あ、あ、電車男、見るぜ。オタクだもん! 商業主義に踊らされるのは慣れっこだ。さて、最初の劇団ひとりの語りはすばらしかった。やや笑ったけど。非オタがさ、各種メディアでオタクについて『知っている気』になって、『お前らのことなんて全部知ってるんだぜキモオタ』っていうスタンスでいるのが許せないってことなんだろーなー。まぁどうでもいいけど。俺はパンピーに擬態するオタなので。どちらからも嫌われるタイプ。でもアニメの話はする、しまくる、できるだけそういうことを知らない人の前ではせぬように心がけながらも。オタ会話の快感は、多分情報の共有にあるのだろう。マニアックな知識を、どこまでも知っているということ。秘密の共有の快感と同じようなものなんだろうな。別にこんな考察に興味はないけど。
なんだ、眠いから寝ることにした。電車とかどうでもいいや、眠いし。