九時から

人の振り見て我が振り直せ、か。異常を気取るのが格好いいとでも思っていやがるのか? 僕は病気なんです、弱い人間なんです、だから守ってください、気を使ってください。なんだそれ。変えられることを変えようともせずに、その場所にずっと立ちぼうけの癖してさ、道がありません、とでも呟く。どういうことだ。道はそこにあるよと親切にも教えてもらった後にさえも、この道じゃぁ狭過ぎる、それ以前に舗装もされてないじゃないか、と憤る。しかもそれなのに一人前気取りだ! あまりにも最悪。あまりにも脆弱。あまりにも虚勢。あまりにも、可哀想だ。痛いよ、痛い痛い。一番嫌いだ。つまり、鏡のように俺のこと、か。もっとスマートに生きねばならぬ。
面倒だ、などと言うことのなかった時間を、思い出さねばならぬ。朝起きた瞬間からの、無敵感、思い出さねば。そうさね、無敵とは言えども、実質的に無敵でなくても、別段良いのだ。敵わぬものはあるし、俺の努力はすぐ尽きる。そこはね、もう妥協だ。妥協すること自体は、悪くない。俺の感覚とも不和しない。ただ、妥協をしているにもかかわらず、全力だなどとごまかして笑うのは、屑だ。
自分勝手、わがまま、甘え、簡単な言葉をいつの日から忘れていた? 俺の、今ある状況は、多分になんら複雑でなく、そういう、使い古された言葉の中にある。一般に、と言葉をはじめていいほどの一般性。ありふれている。俺ほどの状況などそこかしこにあふれかえっているし、俺ほどの力などそこいらの誰でも持っている。な、あとはそれを生かすために、少しの我慢だ。毎日の、あまりにストイックな生活など、自分も他人も、誰も必要としていない。そんなことをする人間を、俺は信用せぬし、凄いとも、偉いとも、ちっとも思わぬ。ただ、あぁ、この人はそういう人なのだなぁ、と頭の中で反芻するのみである。


今日一日は、なるたけ怠惰に、過ごした。振り返れば腐った一日だが、それでも俺は、これでよい。充実した毎日を送ろうなどと、俺は考えぬことだ。他人と自分とを比べることは大事だが、比べるだけ比べてため息では、意味が無い。
日常を、日常として、日常する。