逃げ水はいったいどこへ行ってしまうのか、首を傾げていた年頃のような気分は遥か、時間の浪費と浪費の時間。
言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、言い訳と、それに言い訳と、もひとつおまけに言い訳を積み重ねて、俺はここに座っている。歩くことも、横になることもしない。膝を抱えることも、視線を下げることもなく、呼吸をするだけの生物となる。
空に届いたらしい想いは、静かに生きる、であった。この時の、永遠に続かぬかなぁ、とわかりきった事を、わかりきったように考えるが、ぜんたい俺は何もわかっちゃいない。


冷房の副産物、季節外れの鈴虫が、暗い部屋で蝉と一緒に、鳴いた記憶。


花火の音だけ聞こえる。はっとして窓をがらりと鳴らしてみるも、暗闇に、どん、どん、どん、響くのみ。もしかすると、と思う。もしかすると、と考える。もしかすると、と夢想する。俺には見えぬ花火が、この空一面に、とうてい風流とは言えぬ光を撒き散らしているのではないか。けれど、俺には見えぬ。りぃん、るぃん、りぃぃん、るぃん、と重なるように鳴くコオロギもどきの箱を見下ろして、深呼吸。俺に見えぬ花火に何の価値があろうか、などと自分中心の天動説は、最近自らに対してでさえも、ちっとも意味を持たない。


人には言えぬことを、人には言えぬものを、ひたすらに求む。俺の愛する人々は、俺のこんな部分を見れば、きっと何の反応もなく消えてしまうのだろうから、ひた隠しさ。