闘争と逃走と

向けられた嫌悪の目に耐えられなかった! あまりにも成す術なく膝を垂れ、無言で俯いた。な、嫌われるの、馬鹿にされるの、気持ち悪がられるのが、あまりにも怖い。被害者になるよりは加害者になってしまえという意識からか、人のことはいくらでも悪く言うのに! 傷つけてばかりなのに、いつも被害者気取りだ。俺は恵まれていないだの、俺は可哀想だの、何度呟いたかわからぬ。それはあまりにも本心からで、思い込んでいるというか、皮肉にも、偽りであるそれに蝕まれている。
頭痛がする。吐く。
偏頭痛がこんな時期にきやがるとは。書くのも何もかも辛いのに、こうして震える指先で鍵盤を叩いている。心底馬鹿だと思う。俺はどうしようもない。自嘲気味の言葉ならいくらでも吐ける。けれど、今必要なのはそんな言葉じゃぁなくて、人生そのもの、価値観か、おそらくはあの子のいたのと同程度に大事なもの、それを全部丸々ひっくり返して、それから鮮鋭なる日々を生き抜いていけるような、そんな力。
俺は、俺自身を見失いかけていた。あまりにも、過信しすぎていた。いやね、今でも自分のことを凄いと思う瞬間、あるさ。けれども、どこか常に懐疑的であるべきなのだ。この感覚を、長らく忘れていた気がする。言い訳を絶やさず、細かな嘘を積み重ねていく。腐ったような人間だが、確かに俺であった。美しくあろう、美しくあろうとすることで、泥のような感情を、憎悪や何らかの攻撃本能を、忘れてしまっていたのだから、本末転倒だ。自己をまったくかなぐり捨て、その上にこれからを積み重ねていくことなどできはしないのに、できるつもりで、できたつもりで、過ごしていた。この勘違いは、もう直らぬかもわからぬ。しかし、自覚だけは永遠していかねば。また、自分を、賛美の対象としてしまわぬように。俺ほど汚いものはない、とでも俺は思っておけば良いのだ。
思っていることが、曲がりなりにもまっすぐに書けずに、悩む。こんなことを書くはずではなかったと首をかしげ、しかし、それでもこれは書くべきことだったのだろうなぁと納得する。自分のことなど、こうして表してみねば、俺は把握できない。音楽を美しいと思ったことも、あの子との日々も、愛する人々と生きた時間も、泣きついた時も、一度こうやって反芻しておかねばならぬ。決意が決意にならないしな。
俺には何もない。俺には何もない。俺には何もない。
三度言った。言葉の意味をできるだけ反芻しよう。それは、自己否定の言葉ではなくて、他人への、周囲への賛美だ。くだらぬ俺を生かしてくれている周りへの。嫌悪の目を向けられぬよう、もう少し静かになるべきなのだろうね。俺は黙れ、気持ちの悪いことを言うな。素晴らしい人々が、俺の周りで、笑ってゆけるように。素晴らしい人々が、俺をぶち殺さぬように。素晴らしい人々が、俺をあんな目で見ぬように。嫌悪の視線は怖い。怖い。ただ怖い。あんな目を向けられたら、直後、あるいは数日間、人の視線そのものに恐怖を覚えてしまう。だから、一度でも向けられぬように。
あと数日、俺は駄目らしいからさ、それとなく、おせっかいのあなたへ、俺は伝えておく。な、心配じゃないよ。あなたのこと、大好きだよ。愛してる。恋愛感情かな、これは。違うだろうな。一人で笑う。あまりにも似てるものだけどな。