TURN

ただ、鳴くだけ。
音楽を聴き、あるいは絵を見て、あまりの素晴らしさに涙を流す。弱っているのかね、文章はいつもの傍若無人さを失いかけている。言葉は呪いを忘れ、ただただこの細い体を描写するだけである。白い首筋と短い髪が何かを語るなら、あまりにも貧相な指先でさえも何かを生み出せるのか。言葉の時代は、声を出して伝えた時代は、前日にもう通過してしまった。今度は、今度は、と繰り返すも、もう次は無いかもわからないと苦い顔。

「"We're All Alone"という曲があるけれど、皆が皆一人ぼっちだとしたら、社会だとか世間だとか、もしくは友情だとか愛情だとかはいったいどこにあるんだろうね? 今日この瞬間が、今日この瞬間にしか存在し得ないように。もしくは、それらを全て否定してしまった上で、体の良い慰めをしているだけなのかね? 慄然とした美しさは偽善に過ぎぬものなのか、それとも偽善というものが慄然と美しいのか」
「んなこたぁどうでもいいじゃん」
「もっともだ」

体内の、ある一点へと、俺の精神、あるいは体力もが終結してゆく。月へと吠えることのできた喉は深くえぐられ、水溜りに映った光を前足でかき乱してみるだけである。もうどちらでもいいとさえ思っている。俺が、一心に愛せるのならば、もう他の枷は必要ない。ただ、それだけを願って生きながらえている。しかし、その思考があの子へ向くことはなく、それが俺には恐怖で仕方がない。
俺は駄目な人間だ、近くにいる存在全てに謝らなくてはならない、それ以上にもうここにいてはいけない、やめねばならない、とまっていてはならない、すすんではならない、壊れてはならない、綺麗にならなければいけない、自分で手を汚さなければならない、汚いままで触れてはいけない、死ななければならない、生きなければならない、走っても歩いても息切れがして、とまれば恐怖に襲われる。振り返れば矛盾しかない。目の前にも矛盾しかない。上にも下にも、果ては俺の体内にも矛盾しかない。
ぶん殴れ、壊しちまいなよと無責任に言えるのか? 俺にはそれだけの気力が残っているのか? 人のことを悪く言うのが怖い。けれども、言わないと俺というものが保てない。誰もを、小馬鹿にして、いる。俺というのは何だったのだろうか? 根本的過ぎる。考えてはいけない。考えたら、答えは出ないのがわかっている。もしくは、詭弁を弄して、俺は俺でしかない、などというあっけらかんとした結論を出すのがオチである。
見たくもない。話したくもない。声を出したくない。けれど、変に締め付けられている。誰も俺を縛ってはいないのに、動けない。俺を縛っているのは俺なのか? だとしたら、結局俺はどこに立っているんだろう? 俺はどこから俺を見て笑っているのだろう、泣いているのだろう。ステージにはライトの当たらぬ。
純粋なものがうらやましくて仕方がない。存在しないとわかっていても、俺自身がそうではなければいけないと、お決まりの文句を振りかざして自分を痛めつける。
よし、今日も一時の気の迷いだ、問題ない。
吐く。