BOKU is going to die

最近の話。
どうにも、言葉が上手く動かない。脳の中で漠然と、情報のあるのに、それをまともに出していくということができていない。自信たっぷりに言ったあとで、あぁ違う、俺の言いたいのはそうではない、むしろ言えなかった事に真実があるのだ、と落胆するのだ。
格段に、ただ文字をおいていくということ、言葉を重ねていくということが下手になっている。妥協続きだからだろうか、満足のいくものの生まれ出ることの少なさよ。勢いのみで連ねたものは、確かに薄くはあるだろう、けれどもその勢いは俺には必要だった。向こう側がどんなに壊れようとも、あの時の俺は何かを書いておらねば気がすまなかった。それでしか、多分に自分というものを知ることができなかった。自分から自分への、究極の自己満足だ。
あぁ、そうだ、俺はこうだった、こうでなければならなかった、と昔の自分を見て思うのである。順応というものを、理由もなく否定して、適応を服従だと曲解していた。極論に注ぐ極論と、思ってもみない文の羅列。今と変わらないのは、内容のなさと、あまりにも稚拙な描写。
俺は死んでいっているのかもしれない。殺しているのはもちろん自分自身なのだが、当たり前のように他人のせいとしながら。もったいない、と思う、鋭敏に生意気だった俺が、失われている。嫌だ。嫌でたまらない。けれども、素晴らしすぎる。躊躇も無く反抗心を燃やす時間は減り、愚鈍に腹を立てる時間が増大している。こんな重い頭では俺の望んだ世界は覗き上げられそうにもないのに、受け入れることは逆説的に悦びを引き起こす。
今の俺が今の俺を肯定するように、昔の俺は造作も無く昔の俺を肯定していた。けれども、今の俺が昔の俺を否定するように、昔の俺は今の俺を否定してくれるだろうか? 見果てられることのみが恐怖の対象ではないが、ひとつの、先端として存在している。
昔の物語、読み返し、何故この話は、何故昔の俺は、ここで書くのをやめたのだろうと思い、ため息をつく。完成さえしていれば、今の俺も心なしか満足するだろうに。今俺の頭に詰まっているのは、それの続きをかけなくなった脳と、別の話を求める幻影とだけである。