数名の人、それも極少数の人々、を楽しませることだけに俺は集中した。質も高くないし、量も多くはない。けれども、気概はとことんあったし、久々に、終える、ということができた。
おれは、最後までやりとげたという記憶を多くは持っていない。その数えるほどの例をひとつ増やすことができた。おれは満足だ。空想、おれの妄想そのものを、おれが思ったとおりでないにせよ、形にすることができたからだ。昂揚感、のようなものを感じているのだろうか、やけに目がさえている。そして、ほどほどの疲労感。くだらないことを真面目にしたさね。
俺が愛した場所はとうの昔に消えてしまったが、俺が愛したという証拠は今でも残っている。未練なのさね。一度褒められたからいつまでも褒めてもらいたいという願望なのさね。あからさまにおれは子供で、だだをこねている。だから、満足したのだから今日はいいじゃないか、と無理やりに納得するのだ。
病的に、もちろん病気であるほどではなく、おれは駄目だと嘆いていた時代は過ぎ去った。だが、今度は、その時間が再び来るのではないかという恐怖に怯えることとなる。これはもうどうしようもないかもわからんね。
延々と怖い話を見続けるように、おれはただ貪欲に吸収することを欲していた時期が合った。けれども、それらはおれの脳内を通過して言っただけで、おれの脳にとどまり、革命を起こすことはなかった。そして、何も入っていない釜をかき混ぜても、何も生み出されはしないのだ。俺が書いているものは、焼けた釜の煙だといっても過言ではない。釜を傷めていくだけの作業だ。
だからこそ、俺の釜は素晴らしいものでないといけない。焼けついたとて割れるようなものではなく、こげついたとて真っ黒になってしまうものであってはならない、と思うのだ。