感謝

やっと約束を取り付けた。僕は本当に嬉しくなって、大好きな貴方に何度もありがとうを言った。貴方の大事な人の中に、ひとりぐらい僕のような馬鹿がいても悪くはない、なんて都合の良いことを思って、僕はベッドに寝転がった。今までのことをゆらりと夢想する。僕は、まったくたいした事はしていない、客観的に見て、明らかにそう思える。でも、僕は必死だったんだ、それだけは主観でしか表現できないけれど、事実、なんだ。貴方がただ好きで、貴方がただ欲しくて、征服欲だけで時を過ごした、そんな時間さえも、そんな心底嫌悪したくなるような時間さえも、愛しく思った。
ふと、時計を見た。約束の時間まではあと四十八時間を切っていた。睡眠を取るのも悪くない、僕は眠ることにした。
目を覚まして、シャワーを浴びてから、奇妙なことに気付いた。今まで見ていたモノクロームの世界は何だったんだろう? 疑問が頭をめぐってめぐってめぐってめぐって、バターになってしまったのではないかと思えるぐらいの寒気がする。貴方は、貴方は、僕と本当に約束をしただろうか? 夢か? 夢なのか? 夢ならば、あぁ、それもいいだろう。それが現実だ。
僕は歯を磨いて、髪を整えてから、この前一目ぼれしてすぐに買ったスニーカーを履いて家を出た。
「おはよう」と、僕はインターホンに言う。「僕だけど」
「おはようって言う時間でもないでしょう?」
彼女は扉を開けて、苦笑いした。あぁ、やっぱりこの人のことを僕は好きなんだ、軽く緩む頬を押さえて、僕も苦笑いした。そうだね、とつぶやいてから、僕は確認する。
「明日、だよね?」
「あぁ、うん? そうだけど」と、彼女。「それがどうしたの?」
「いや、ちょっと不安になってきちゃってさ。もしかしたら……もしかしたら、今までのことは全部夢か幻か、もしかしたら夏特有の陽炎みたいなものだったんじゃないか………って僕は思ってしまったからさ」
僕の言葉に、彼女は丸い目をさらに丸くして。
「どうしたの? 疲れてるの?」
「いや………うん、やっぱり疲れてるんだと思う」
その晩は、僕は彼女の家に泊まることにした。必要なものは明日の朝にでも取ってくれば良い。
「結婚してください」僕は初めて彼女に、面と向かって、愛の告白をした。「幸せにする自信はないなんて陳腐なことはいえないから……ただ、頑張る、ってことだけは本当だから」
舌足らずに、自分の思うことを表現できなかったけど、できるだけの想いは伝えた。彼女、少し笑って、やっぱり少し悲しげな顔になって、それからいつもの顔に戻ってから。
「喜んで」
と、だけ言った。
僕はまた、ありがとう、と呟いて、でも、彼女を抱きしめる、なんてかっこいいことは出来なかったから、そっと、右手を彼女の肩に置いて、左手で彼女の手を取って、やっぱり僕は、ありがとう、とだけ呟くのだった。