肯定

多分あの子をまったく肯定してしまうには、あの子がしたこと、言ったこと、つまり腕時計を見たりだとか、僕の服を選んでくれたりだとか、待ち合わせに遅れて困ったように笑いながらかけてきたりだとか、そういうことを、一字一句、その情景が完璧に表現できるように、主観をまったくいれずに、でもさっぱりとあっさりと乾いてしまわないように、書く、必要があった。あの子が考えたことを完全に理解するのはあの子しか出来ないのだから、僕はあの子の考えを、少しでも歪めて腐らせてしまわないようにしなくちゃいけない、のだ。
ただし、事実だけを綴るという行為には、僕は意味を見出せないでいる。僕はあの子を肯定する作業に、自分の主観という不安定なものをこれでもかというほど必要とするし、事実だけを簡潔に綴るには能力、構成力だとか、そもそも根本的な文章力だとか、が足りなさすぎた。だから、僕はロマンチストでいることが出来たし、彼女の像を自分の中に作って、それを愛玩し続けることが出来た。これは、とてもハッピーな状態だった。
ある日。疑問を感じた、わけではなく、少しの違和感があることに、気づいた。
突然、いや、気づいていたなっただけでじんわりと、だったのかもしれないが、僕の中にいる彼女を、僕はどうしても理解できなくなった。誰だ、お前は! とんでもなく怖くなった。これには心底驚いた。怖くなって、走り出して、抱きしめることのできるあの子に泣きついた僕に、笑いかけてくれて、でもその笑顔が僕の中のあの子と重なって、やはり怖くて。そんな状態を何日か過ごした。
さて、結末だけ先に言うと、その後は、やはりとてもハッピーな僕がやってきた。何故なら、そう、目の前にいるあの子をあの子としてみることができるようになった、というわけではなく、あの子が僕から少し離れたからだ。少し時間が経過するまでは、それを馬鹿げたことだと思った。なんてったって、僕のあの子よ? あの子の僕よ? 離れるなんてありえない、許されない、なんて心の中でほざいていた。今考えれば、まるで気持ち悪い。でも必死だったんだ、わかって欲しい、あぁ、それさえも主観だけで言っている、が。
作り話の記憶はここで途絶えた。
今、現実的に考えるのは、あの子が誰だったのかということ。もしかしたら今、今まさに考えている、僕が好きな彼女なのかもしれない。それはそれでハッピーなことなのだけれども、それはそれで嫌なん、だ。
何の気もなしに、あのダリの、世界一長いタイトルがついている絵の普通さを思い出して、僕はあの子についての物語を書き始めた。いつかこれが完成してしまう前に、あの子が見つかればいいんだけど、とも思った。