(好意を伝えられないことの)責任転嫁

例えばとか例えばとか例えばとか例えばとか例えばとか例えばとか例えばとか例えばとかはもううんざりなんですよ僕にとっては。遠まわしに言ったって事実は変わらないのに馬鹿みたいだとは思わないのか、ねぇ。もしもの話をするときは、決まって貴方はもう結論を決めてるんでしょ。仮の話をするときは決まって貴方は僕の意見なんざ求めちゃいないんだ、そうでしょう。わかってるさ、だけどそれが悪いわけじゃない。貴方に話し掛けられること、ただそれだけで良いんですなんてそんなことは口が裂けてもいえないけど、プラスかマイナスかで言ったらもちろんプラス。プラス250ポイントくらい! だからといってそれで満足なんて出来るわけがないのは僕にはわかりきっているんだ、意見を求めてくれ、僕の話を聞いてくれ! 受け流すだけにはうんざりなんだ、貴方の話を要約して、限りなく僕がその中に入っていない言葉を二、三程度つけて返すだけの行為には好意なんてこめられるわけはないじゃないか! だから例えばなんてそんな使い勝手の良い言葉は意識せずに僕に語りかけてよ。もしも君が僕にそうしてくれたら、仮に、仮に君がそうしてくれたら、僕は、僕は、例えば僕は貴方に好意を伝えることが出来るかもしれないじゃないか。だから僕は、これには貴方の意見なんざ全く求めちゃいないんだ。僕が貴方に好意を伝えることを貴方はとめないでいてください、と、それだけが僕の希望なんですよ。希望、というものだから意見なんざ全く求めちゃいないんです。許可か不許可かはっきりしてくれるだけでいい。例えばとか例えばとか例えばとかそういうものはもううんざりなんだ。このままだと貴方に好意を伝えることなんざできないじゃないか!