あまりにも感情的な、本能的な

心配して貰おうったってそう上手くはいかないぜ。嘘ばかりのキチガイごっこはさ、誰にも相手にされないの。辛辣な忠告として、あるいは、わかりきった自戒として。駄目なんだな、遠くから見るとさ。こういう時こそ、自分を見るように、うんと近くから見ないといけない。駄目なのはわかりきってるからさ、大きさも色もわからなくなるまで近づいて、それから話さないといけない。毛嫌いするだけが能じゃない。
均衡を壊すのが一番悪いの。皆が皆、腐りきった顔で安定を望むの。何処が痛い? 其処から何が見える? そんな疑問お構いなしで、自分のステージを確かめようともせず、それでも空を見るでなく、周りの同じを見つけては一喜一憂している。俺がそんな風に見えるのは、見てしまうのは、自己の主義主張が常に正しいなどと薄らぼんやりと感じているせいだ。間違っているものは正さないといけない! その役割を果たすのは俺だ! 俺なのだ! 勘違いだね。欺瞞だね。俺は俺が恐ろしいよ。どんなにも憤ってしまうせいだ。怒りだ、痛みだ、でもよ、それで誰か幸せになったのかい? 問題提起をやれるだけして、ぶち壊すだけぶち壊して、それで俺様ちゃんは自由になったのかい? 足元を見てみろよ、がんじがらめじゃないか。友情、愛情、見えないものは怖いネェ、恐ろしいネェ。だったらぶっ壊すか、わけがわからないから、ぶっ壊して、作り直して、自分だけのお城を建てようってね。それこそ裸の王様だ。騙してるのが自分なだけ質が悪いんだ、騙されていることに気づきはしない。
それでも、と俺は思う。それでも。耐えられないの。人より短気なこの俺のことだ。すべてのひよわなもの、うそうそとしたもの、ものうげなもの、対しては我慢ということを知らない。我慢できぬなら、目を閉じていよう。嫌だな。見てみぬふりは嫌だな。嫌なら、出て行けば、いいんじゃないか?
嫌なら出て行けよ。関係ない奴が口出しするなよ。馬鹿は喋るな。何もわかってないくせに。
言うのか? 言われるのか? どうだっていいよ。そんなことを考えている場合ではない。そんなのは些細なことだ。まわりのとげが大きくなって、さも威厳たっぷりに鎮座している。大事なのは、もっと本質だ、柔らかな部分だ、傷つきやすい部分だ。権利や義務の話には意味がない。誰にだってあの子を傷つける権利はないし、誰にだってあの子を守ってやらねば成らぬ義務はない。だから、本当の意味ということだ。本当の愛とは、何だ。俺は本当の愛の上の均衡を求める。本当の愛がために、人間と接したい。本当の愛の前に嘘まみれの情欲など、ほころびだらけの関係など、なんだというね。
けれど。
本当の愛とは何だ? 俺は未だそれを知らない。あの日、あの子と、夕暮れで。あの日、あいつと、音の中。ああいうのを本当の愛って言うんじゃないかな、なんて、少しだけ。


馬鹿ばっかりでどうしようもねぇなんて思うなよ。誰にも伝わらないのだとしたら、馬鹿なのは誰だ。屑ばっかりで皆が皆間違ってるなんて思うなよ。誰もが誰も正解なのだとしたら、間違っているのは誰だ。諦めきれないってさ、思うんだよね。大きな魚を逃がした気分でさ、完成の前になくなってしまうといつも思うんだ。
愛する人を求めている。嘘は駄目だ、俺は間抜けだから全部信じちまう。ちっとでも褒められたら、真正面から喜んでしまう。嘘がないのがいい。人が元来、嘘をつくようにできているのであれば、俺は人でないものを愛したい。俺は信ずる、あの素晴らしき人々の、信用に足る真実を抱えていることを。薄っぺらいことを言っていては駄目だ。
それなら、本当の愛というのは、ひとつだけの方がいいのかもしれないね、拍手の一人分でいいように。難しいことを抱えすぎると、疲れてしまうからね。


あの子のメールはまったくまったく、ほったらかしだ。全部俺が悪いの。どうしていいのかわからなくてさ、いや、それは言いわけだぁな。ただ選び損ねて、決め損ねて迷っているだけさ。