inu neko

夏の終わりまで、秋の終わりまで、冬の終わりまで。まるで区切られているかのように語ってはいるが、ゆるりと続いているのが本当だろう。一年、また一年、それもまた区切り、十年一昔、そうは言うけれどね、本当は続いているのだと思う。生きているかどうかさえもあやふやで、意識は突然に混濁するものだが、いのちというのは区切られていない。あの唄歌いは、明日にも無くなっちまうケチな運命だと言う、儚いものだと俺も言う。でもね、一歩終わってもまだまだなんだな、俺の歩幅は狭いから、そのせいであの美しい人に追いつけないのかもしれないけれど、反対に時間をかけて歩けるのだと。旅路の終点でも全ての始発駅でもない、なんにもないゆるやかな夜。どうにもならなかったら、どこか知らない場所で唄歌いでもやりたいさね。


犬山イヌコ女史のinu cafe、二枚目が最高すぎてどうしようもない。何だこの言語センスは。一曲二十三秒とかで終わっちゃうんだもんな。そういえば、時効警察に出てましたよね。一枚目もポップで良いです。
eastern youthの『雲射抜ケ声』(この前2ndって書いたけど全然2ndじゃなくて8thでした。全日本語歌詞になってからも4thだし)、確かによかったのだけれど、個人的には『感受性応答セヨ』のが好きです。それでも、雲射抜ケ声の五曲目、『雨曝しなら濡れるがいいさ』は紛れもなく名曲。他の盤も聞いてみたいのでそのうち買うです。