シノニム

たらふく食って、飲む、あるいは呑む。碌なものでないね、本当に。俺はただ眠いよ。北の地で暮らしていた人は、この春から大阪という町で暮らしているらしい。歌いに行くという彼女らを見送って帰ってきた。大阪ね、阪神とたこ焼きと大阪風何とか? 俺は大阪のそれをお好み焼きとは認めない! そこらに暮らす人ね、謝っておく、すいません。俺が認めないのはそれだけでね、音の日に出会った人らは良かった、面白かったな。


ぶっ飛ばしてやろうかと思った。何をか。何でもない。拳の痛むほどに殴ることは無為である。大体この細腕で殴って何になろう、恐怖が増しさえすれ、何の解決にもなりはしない。恐ろしい、ね。死ぬのが怖いのではない。死にそうなのが怖いのだ。俺はいつだって死にそうではない、ぴんぴんしている。だけれど、同時にいつだって死にそうなのだ。いくつもの俺が同時に存在することが可能ならば、そういうことなのだろう。結論よりも終末よりも、何より過程が怖い。視界が狭まるというのはね、おそらく急に起こるのではない。空が、見えなくなっていく。壁しかなくなってしまう。音は遮断され、色彩は失われる。ゆるりと変化しているに違いない。
気づくのが、急なのだ。
あぁ、こんなになにも無くなってしまった。俺の愛する人の目を思い出すのだ。俺はもう死ぬしかないのだと、真剣に思う。俺はそんな感情を何よりも軽蔑している、それを見せびらかす人間をも何より嫌悪する。でも、しかし、それでも、俺は思うのだ。どこかのねじが外れてしまったかのように、そればかり思う。思い、恐怖する。死ぬしかないのに、死にゆくのが怖い。生きていたいのに、生きるのが怖い。俺はそこどまりなのだ。いくら進んでも、いくら上っても、ここに戻ってきてしまう。自分で選んだのなら、最後まで行くべきなのだろうがね、最後最後と思ってみると、おかしいな、ここが最後か、おかしいな。


いつもどおりのたわ言ひとつ。


書きたいことがないというのは、良いことなのでは、と考える。俺の書きたいことというのは、愛する人のことであり、限りない情動であり、壊れきった願いだ。今の俺にとって、障害にしか見えぬものたちだ。書きたくもないのに書くのは作家かキチガイだよ。どちらでもない俺に、書かないという道はある。不意に思う。
書きたくてしょうがなくなるまで、俺は書かぬべきなのかもしれない。あの俺とこの俺が同義ならば。