てじなーにゃ

山上兄弟超怖ええ。
冗談にしか見えない笑顔を見て恐怖するのは、特権的なものだとも思うのだが、やはり普通ではないのかね。見れば見るほどに、目を伏せなければならなくなる。ゆっくりと、着実に変化していくものが確実にあるとするなら、社会への順応もその一種だろう。あの恐怖を軽減してくれるのなら、それも受け入れる気にもなるが、どうにもそういう気にはならないね。
最初の印象が後に引きずられるだろうが、関係ない。真面目なことも不真面目なこともごちゃごちゃに置いていくのがおれの流儀であるし、不確かなおれを表すのには適当だろう。飲めない酒よりも、水としか思えないものを。
多くのおれは、いつも何らかのものに怒りを持っているが、きちんと慣れていくおれもちゃあんと居るのだ。だからね、安心というもの、してもいいのだろう。妥協するしかないものにあたったときに、妥協することもきちんとできる。妥協してはいけないものを、ごまかすこともきちんとできる。本当に安定している。咳き込むのと共に焼けるように熱い喉と、疑問しか感じることのない脳は、釣り合い過ぎて微塵も動こうとしないのだ。
行きたい場所があって、そこにたどりつこう、と言うのならいい。だけれどもね、行きたいところさえ見えていないのに、まだ行きたりない、と叫ぶことは傲慢ではないのかね? さて、閃光のような何かが、おれの脳内で爆発し、それに対する答えを導き出したのだが、結局は社会通念でしかなかった。
おれの生み出すものは、ことごとく前例がある、と思ってしまうこと、なんてものは自己の否定に他ならない。前例があっても、いかに似通ったものがあっても、本当におれの脳から出てきたものならば文句は言われない。いや、文句をいうことは他人にもおれ自身にさえも許されない。
時間は休息の日々。ただ携帯電話の向こう側を夢見る。