逃げたい

今までおれがしてきたことは逃げることではなくて放棄することだったようだ。逃げ続けることの体力の消耗を、あまりにも感じないことに気づいた。直面し続けていることへの不安さえない。ただあるのは恐怖、後悔、ゆえに過ぎ去ったものへの懺悔だ。向かい合って首をかしげ、あるいは、目を閉じ静かに考えること、その短距離の闘争のイメージさえも放棄へと繋がる。逃げることのできる人間は、頭が良いから逃げ切れるだけの距離を最初からとっているか、あるいは、距離がなくても逃げ切れるほど足が速いかどちらかだ。どちらもないのなら、最初から逃げることさえも考えないよう、もしくは、戦うことさえも考えないようにしなければ。
気づかない! 台本さえない! タイムテーブルはいつでも強制に頼りきっていたというのに、その強制を否定した今、見えるものは何もない。記号さえも生命に見えてしまうのなら、生命を軽んじることも難しくはない。あいつがあいつがと、こちらを見て言うのならね、おれはいくらでも弱者になろう。命令さえされれば、おれはいくらでも強者になろう。そんな気概はいくらでも持っている。ただ、それはある一定のラインを超えることはない。だから、表装上は、何の変化も見せはしない。