サー

マジョリティが常に偉いんだ。マイノリティがいつもうるさいのだ! などという、確かではある論理。
貴方がたは、今まで生きてきて、それでもサブカルチャーというものに傾倒する。なにかね、マゾなのかね? あーあー、サブカル論は聞きたくもない。そんなものはもう食べ飽きた。サブカルチャーだとかメインカルチャーだとか、そうやってひとくくりにしたがるから腹が立つのだ。ひとくくりにされたくないのならもっとちいさな場所を目指せよ。思い込み、僕にあるのはそれだけだ。だから貴方がたを頭ごなしに批判する、わかりますか、伝わっていますか、僕の言葉。つまらない煽りは、逃げることができずに。
論破されることに抵抗はない。詭弁はいつでも透明だ。レトリックはいつでも華麗すぎる。矛盾が生み出されると狂喜する。
もっと怠惰に、ぐだぐだと、生きていればいいのに! どうしても俊敏だ、どうしても情動的だ。ふざけないで欲しい、共通点を探して、見つけたからといってそれがなんだというんだ、似ているだけだろ?
皆が嘘をついている。全てが正常だ。過ちは全くない。誰にもわからない言葉で語ることは、安心を与える。わからないのが、安定しているのだ。自分の解釈でわかった気になれるのだから。周囲が、僕にとっての社会というものが、定義づけについていわゆる論議をし、また、別の結論が導き出される。意思が一定でないといけない、なんていう考えが根底にあるのだから、隙間から崩壊が始まるのだ。
今まで嘘だと思っていたものが、ふと鮮明になり、存在を見せ付ける。幸せというもの、ハッピーだということ、おしなべて、迫ってくる。威圧感、覚えることはないのだが、どうしても腰が引けてしまうよ。
切れ味の悪い言葉で語ることは、突き刺さることより、後々の痛みを思ってのことで、悲劇のヒロインが殺されることへのカタルシスだ。今ではもうすっかり、良くあること、になってしまったけれど、それだからこそ主張していきたいのではある。結局まぎれたいのだ、僕は。
面倒なことがあるのを、許すことができない。それなのに、全てを後回しにする。わざとやっているのだろうね、僕は。貴方にしかできないことがあるように、おれにしかできないこともあるのかね。はなはだ疑問だ。
また憂鬱が跋扈する。