能力不足

能力がないのならやめてしまえと何度も何度も他人に思ってきたのだけれども、いつからか、頓に最近は、自分に思うようになって来た。これはどうやら正常すぎることのようで、いつまでたっても治るということがない。今までの奇妙さを普通と感じていた、などという、今までの自分の否定はしたくはない。気持ち悪いとは思う、終わっているとも思う、けれども、否定だけは、駄目なのだ。
完成されていないもの、に関してはまだ許せるのだが、洗練されていないものに腹が立ってしょうがない。自慢げに、それらを見せびらかすこと、打ち殺したいという感情しかおきない。
さて、どうやら、あと四時間のようだ。
どうにもまとまらない。この混沌、のうちは、とりあえず思い浮かんだことを延々と排出していく他にはない。ひとつのちいさなこうじょうと成りえるのなら、それも一興だろう、作られるものを磨いていくしかない。解体の後に、再構築せねばならない。解体された一部品だけのものを、これこそが芸術なのだとひけらかすこと、は、僕は全く嫌いではない。けれども、それがあまりにも不恰好な場合、違うね、あまりにも部品としてすら認めることが出来ない場合、主観的に、吐き気が訪れる。だいたいね、解体された部品を虫眼鏡でいくら観察したって、鉄とねじしか見当たらないだろうよ。なのに、何故それをもてはやすかね?
単純になってきている、全てが、鉄が少しとねじが二本程度の、小さな部品のまま終わっている。それを、何故か、芸術だともてはやすのだ。そんなものはパーツに過ぎないよ。あの子のことだって、あの綺麗な腕だけじゃぁ僕は満足しない。あの笑顔そのものだけじゃぁ僕は満ちない。あの子の性器がなんだって言うんだ。そんなもの。
どうもあのイベントから一ヶ月が経とうとしているらしい。時間というものが無情なのか、それともあの子が情にもろすぎるのか。どちらでもいいじゃないか、という結論で落ち着くことにしている。決めようと思うから格好悪いんだ。定義しようとするな。自分の言葉で語るな。気持ち悪いんだよ、不恰好で、腐りすぎている。
それでも、語らないとやってはいけないのだろうね。生きているという証明、ほどの大きなものか、こんなくだらないちっぽけなものが? ばかじゃねーの、と思う時間の中でさえも、どちらかというと、本当に、どちらかというと、というレベルの話だけれども、進んでいるものがあるのだから、気が抜けない。
やめてしまえよ。諦めてしまえよ。と言ってもらえる時まで歩かねばならない、と僕は自分に言い聞かせているのかね。