自戒として

嫌われてるのはわかってるけどね。
向こうが気づかせないようにしてくれているのだから、思う存分乗っかってやろうじゃぁないか。最後までそれが続けば、別段僕の身には何にも起こりはしない。向こう、多分に自分とは格段別のもの、というニュアンスを含むもの、のほうが大変だろう、と、思うね。気づかない振りと気づかせない振りと、どちらが楽か!
前のように、先ほどのように笑ってくれること、それは空気をよんでのこと以外の理由は既にないのだろうが、表面しか僕には見えないのだから、どうでも良いね。いくどもいくども繰り返される自己嫌悪に加担していないのだから、僕はにっこりと笑っていようと思う。侮蔑の感情は全くない、あきれもない、ただ、頑張って、と思うばかりである。意味があるとはまるで思えないけれども。
三万五千円になります。耳元で、いやぁ、脳内なのだろうがね、リピートされれる。窓の向こうに、誰かが居て、こちらを見ていて、目を合わせるのが怖い、と夢想してしまう。犬のようだと思っているのかどうか、小動物のように、身を丸くして、嘆いてしまう。
いつだって自分というものでしかはかることが出来ない。自分の中の他人、他人の中の自分、最終的には自分の中での自分さ。他人の中での他人は考慮が不可能だ。エミュレートしていくように、他人のコピーを試みる。完全にわかってしまえばいいのだが、それはかなわないだろうね。吸い出すことは出来ないのだから、外見、彼、彼女が、外に投げ捨てたもの、から推測することしか許されない。
全てが嘘だとばらすのだけはやめて欲しい。全てがまやかしだったなど、耐えられそうにない。わかっているからこそ、その恐怖はひしひしと感じるのだ。底がある深い穴に落ちているようなものだね。空が飛びたいと願いたくもなくなったけれどね。
代わり映えもしない嘘がまたやってくるだろう。でも僕はその嘘を愛すよ! らぶ! ファック!