INU SINU

関係ないね。
またもや数日分のたまりに溜まった鬱がやってきた。全て外部からの電波、のようなもの、のせいだと決め付けるのには飽きてきた、けれど、そうしてしまわないと、全てを納得してしまうことが出来そうにない。だが、理論、というもの、いつ考えても大嫌いだ。全てがニヤニヤと笑いながらパターン化するのだ。どうにもやるせないので、とりあえずの対処として、一応の虚勢として、拒絶することにした。
チョコボールがどうにも美味しくない。
悪いもの、まとめて吐き出すには、薄すぎるような気がしている。何かを考察することで、その濃度が濃くなったり、あるいは輪郭がはっきりしていくのなら良い、しかし、事態はずっと複雑になるばかりだ。一般論、と僕が語るとき、誰を見ているのか、を数日の間考えていたのだけれども、それはどうにも理想みたいだ。一般論とり総論の工作は、ある種すばらしい世界には必要なのだろうけれど、現実、具体例、望む僕としては、自分の内部から出てきたものにもかかわらず、気持ち悪く思えて仕方がないのだ。
多分、気楽に、適当に生きれば良いのだとは思う。それこそ、延々と笑いながら、さ。そうであった時間は、飛び飛びに過ぎてしまったけれど。ハイパーなテンションで語っていける時、ようはあの子の隣に居たりするときのことばかりを考えていれば良いのかね、それがどうにもさもしいようで、切なすぎる、刹過ぎる。言葉遊びは吐き気をもよおすね、格好悪い。
あの子との一体化ばかりを妄想すること、は、正しい正しくないという問題ではない、という風に断言してしまいたい。ただの欲求さ。それに意味とか理論を求めたくないのさ。けれどもいつも筋道を考えてしまうのは、やはりさもしさなのか、いつもいつも心残りなばかりである。
空が飛べれば良いとかくだらぬことを夢想すると、時間がたってしまうのか。努力をいとわぬといってしまっておきながら、面倒で面倒で面倒で面倒で、面倒だ。僕は最大、都合の良いもの、人、環境、を望むよ。今のうちが楽しいのだから、と言われることに、あぁそうか、と納得しようとするものの、これから楽しくないのだと言われているようで、首を傾げてしまうね。理想というのはどうにもないらしい。最高というのは今の環境らしい。笑い話かと耳を済ませてみれば、どうやら真実なようだった。
世界というもの、周りの、外部の、社会、か? うんざりするほどの傷物だ。もっと綺麗なのがいい、もっともっとだ、と思うのに、それを磨く作業は面倒で、参加したくないというのが本音だ。どこへ行きたいのか、と問う前に、どこへいけるかを示して欲しいのだ。
やはり、沈む。腹が立つ。それだけの生物に成り下がっている。周りが不快なものだけになったように見えるよ。相対評価だ。単純すぎるのか、複雑すぎるのか、理解の範疇を超えているほどのうざったさだ。自分の力量なんかを見て思うのだが、そんなもの、じゃぁどうにもならないんだよと思うことは、自分を終わった存在だと叫ぶことで、快感を得たい、ということなのか。マゾヒスティックな情動だけが高まる。ののしってもらいたいのか、否定してもらいたいのか、現実にそうしてもらえたら、僕は薄笑いさ。そのあとのことは知らない。
サドでさ、背が高くて、年上で、綺麗な人にね、ののしってもらいたいわけだよ。それだけなんだ。という欲望だけの生物に成り下がってしまう前に、いや、もう駄目なのかもしれないが、自分を晒すことをやめる、ということを考えなければならないかもしれない。もう疲れたよ。隣に犬はいない。絵だけがある。