SAMURAI症候群

秋というのが僕の中ではつまり、昔思いついた、自分の中で格好のいい言葉を何度も反復して、他人に無理やりにでも理解させようと試みるように、終わっていく。
ぶち壊せと思う気持ちも儚く、人に強いと思われることが大嫌いで、上にいると見られることが大嫌いで、ま、そんなこと滅多にないのだけれども。いつもいつも、最短ルートでの逃げ場を求めている。逃げられない道など怖くて歩けない、と漏らす声は、逃げ場のない道に反響して、気付いていなかった自分をあざ笑っていたのか。近くに植物の気配すらないのに、落ち葉がどこからか飛んできて、道、目の前、にずっと前からあったように固定されているのを、不思議にすら思わないのと同じで、記憶の片隅に残る煌びやかな幻像を、当たり前のものである、本当のことである、と信ずるのである。
神様とかいう存在さ、信じている人にしか何もしてはくれないのならば、何か信じてみるかね。最後に頼れる場所がそこにあるというから、たくさんがそこに走る。結局、信じている人間がいるから何かが起こるのだ、という、ある種の逆説、ある種の正論を吐きながら、どちらかというと信じられる側のほうが面白いかもしれない、と考え、夢想の余りの責任の重さに、それが妄言であるはずなのに、恐怖する。
話があるんだ。でも、だれにか、がわからないんよ。
ライン、どこからが嫌いでどこからが好きかという線引き、明確な、を欲しているのだが、昔太くて領域ですらあったその線は、今は頼りないほど細く、片側から流れ出た深紫のものが、ある種綺麗に、真白な布を汚している。
強くなりたいとは望むのだけれど、それによって生まれる責任、については、とんと、絶えられる自信がないよ僕は。
冬に対する劇的な変化と、余りにもな恐怖心にもぐりこんでいく、寄生虫か、それよりも少し高等な感情、が電気ケーブルを通じて脳をこじ開ける。藁でも脳に詰まっていれば、被害は少ないのだろうがね、スケアクロウにもなりきれない自分は、エメラルドの都に解決してくれる者を望んでは駄目なのかね、結局、物語も現実も、根本的な解決になりはしないというのに!
気持ちの変化がとどまることはない。勇気がなくてもライオンに成れれば良い。心がなくても鋼鉄に成れれば良い。奇麗事にはうんざりだという思いはいつでも僕の根底にあるけれども、それを口に出してしまうのは格好悪いので、いつでも僕は偽善者気取りだよ。強くなりたいと心のそこから願える日は来るのかね。来るとしても、責任とやらに耐え切れるのかね。
それでも、安易な逃げは嫌い、という原則は忘れないようにしようとだけ、それだけ、は思う。