さむい

BECKのようでなくてもNANAのようでなくても電車男のようでなくてもシドビシャスのようでなくても、僕は素晴らしい数値をたたき出して生きたい! むしろ、たたき出していかないといけないという、恐怖、に二秒に一度、襲われるのだ。つねに完全燃焼で、むしろ燃焼し終わった物体から生命が生まれるような、くだらない幻想を抱いて、ぶっ壊れたハイスピードなチキンどもに見切りをつけて、動く方向を見極めていこう、と思え。自分に命令する自分は白々しくて、腐ったものをちぎりながら生きている。
嘘の世界にはうんざりだ。どこまでも素晴らしくて、どこまでも美しくて、そこには限りない夢があって、うらやましくて、自分の身にそれが起きないかと期待して、夢想して、行動、しないといけない、という結論に吐き気を催す。動く方向さえ決っていないのに速度なんて出せるものか、わかったような口聞くんじゃねぇよ屑がと何度も自分を殴りつけるのだけれど、結局は僕の嫌いな自虐、の域から一ミリぽっちもでちゃぁいない。そりゃぁね、素晴らしい世界はそれでいい、僕の世界は違う、いくら本物と夢が近かろうが、かなう夢だけを選抜して、かなえていくこと、それが重要ではあると思うのだ。重要なものに価値があるかどうか、それは本当にどうでもいい、個人の問題だ、僕の重要には価値があるか? 自問自答する日々はもったいないのだが、それさえもが方向を決める指針だ。
中途半端なのが一番いけない。何のために、今それをしなければいけない、と強要されているのか、それをわかった上で、強要されないといけないのだ。見えていないんだ、現実が、僕と僕と僕は。夢をかっこいいと思うには、もう遅すぎるのだ、現実は終わった、ただ事実だけが切々と続いているに違いない。
夢を見るな、現実を信じるな、事実だけを見ろ、なんて哲学、かっこ悪いし勘違いもはなはだしいのに、そこで僕は停滞し続けている。しかもね、それから発展すべき事項、放ったらかしにしたままなのだ。わかっているのに動かないのがかっこ悪い。吐き気。
それじゃ、どうすればいいんだ? あの、道は見えている、やるべきことも見えているよ? それが本当に楽しいのかね、美味しいのかね、そんなことは当然、そのとおり、全くおっしゃるとおりだ、そうなのではあるのだけれども、違和感、不自然さ、それが見えることなんていうのは、僕はまだ夢を見続けているせいなのかね?
俺にはギターは弾けないけれど、別のベクトルで、同じ様な数値をたたき出してやれば、それで良いとも思ってるんだ。
だから幻想だけで終わる。夢だけで止まる。現実一歩手前で楽しそうに満足する。その程度を延々と続けるのか、うんざりなんだけど、居心地が良い。居心地のよさを求めるならね、僕はニートになってしまうよ。でもそれじゃ、案の定かっこわるいんだ。
冬が近い。だから何だっていうわけでもないんだ。夢はいらない。希望はいらない。事実を把握したいと三万回ほど思う。