ロッッケンロー

http://d.hatena.ne.jp/N31/20051006
より
ルノアールの絵画に対する考え方と僕のロック(むしろ音楽)観が合致したので(もとの文はリンク先参照のこと)。

ロックンロールは注釈を必要としない。理論はいい音楽を作らない。大抵の場合、それらはバンド(あるいは作曲者)の欠点を隠すのに役立つだけである。ロックは夢想の産物でも、霊感の所産でもない。それは何よりもまず手工芸であり、いい職人はそれを上手にやりさえすればいいのである。音楽が客観的であるべきか、それとも主観的であるべきかなど私に聞かないで欲しい。私の言い得る事は、どちらでもよいと言う事だ。我々の技術はとにかくたやすいものではない。そして私はそれが巻き起こす疑念や不安を理解する事ができる。しかし結局のところ、少しの素朴さと少しの誠実さがあればいいのである。

最後の辺りの、「少しの素朴さと少しの誠実さ」は改変の必要ありか。でもロックンロール、特に、(僕の世代から見ると!)少し前のブルーハーツや、その時代のロックンロールには、誠実さや素朴さなんて腐るほどあふれている、ように思う。いつからか、かっこいいことだけがかっこいいという概念、が氾濫している。
ロックっつーのは、抽象さを具体的に叫ぶだけ、という思いが僕の中にはあるのだが、むしろやはり抽象的な言葉の中にも、真理があると思え、二秒ほど悩む。
結局僕は向井秀徳になりたいと思うたくさんの人間の一員なのだなぁとも思いながら、トモダチのギター弾きを思って、少しうらやましくなるけれども、それを仮定としておいてしまってから、自分というものを考えて、俺も凄い、俺も凄い、俺も凄い、と一人自画自賛して、やはり落ち込むのである。