オタ

キモオタ嫌いのオタクに毒を吐かせてくれ。
オタクの恋愛感なのだが、恋愛というものが、物凄いもののように、むしろ神聖化さえされているような節がないか。
恋愛というものに関わらず、ファッション、ならびにオタク趣味以外のもの、に対しての、畏怖、が少なからずあるのではないか。大したものではないのに。お宅でなくてもファッションセンスのない人はたくさんいるし、その人は普通に彼女がいたりして、セックスしたりして、結婚したりして、いるのだ。多分にそれは、オタク趣味が生む弊害というべきものが存在することを示しているのではないか。
オタクは自分と一般人(パンピー)を区別しがちなのはいうまでもない。自分から突き放してはいないか。それを指摘されたときに「俺オタクだから」ですませていないか。それは免罪符なのではあるけれども、諦めすぎじゃないか?
そう思うのだが、実際に、リアルの女というもの、三次元ということ、を必要としない人種は存在しうるのだとは思う。ただ、そういうもの、切り捨てることで、何か別の領域へはいけると思う。「もしかすると俺にはリアルの女は必要ねえんじゃねえの?」とは思った人間も多いだろうが、いや、多いかどうかはわからないが、そう思った瞬間、開き直った瞬間、何もかが素晴らしくなった記憶が(僕には)ある。
しかし、そういう、世間一般常識を捨てたオタクの、世間の中での立場はとても弱い。それさえも気にしないのなら、別にそのままでいい。ただ、「きめぇから俺の目の前にでてくるなよチンカス」という扱いは必至だけど。言いたいのは、そう開き直ってから、社会が俺を認めないとか現実の女はうんことか、そういうくだらねぇことは言うんじゃねぇよってこと。家で引きこもって一生エロゲでもしてろ。
という毒を吐きたいことは吐きたいのだが、それは本筋ではない(吐いたけど)。
分別のないオタクが嫌いだ。現実の見えてないオタクが嫌いだ。何より、信念のないオタクが大嫌いだ。ただの主観だけど、オタク嫌いのオタクは皆こう思ってるはず。
話を戻すと、つまりはオタクはパンピーの上しか見てねぇんじゃねぇのってこと。(具体例をあげやすいからこれだけあげるけど)ファッションにしても恋愛にしても、程々で良いのに、一般レベルで良いのに、最高のものを、と突き詰めてしまって、それで失敗している気がする。
ギャルゲー、エロゲー、のように、一瞬で何もかもがすむというわけではない。そんなことはわかってると言うかも知れないけれど、それらの影響で全てが面倒になっていないか。趣味の悪さは少しずつしか直らない。俺も苦労してるし。恋愛なんか難しすぎてびびる。何で他の奴ら上手くやってんの? とかくだらないことを二千回ぐらい思うんだけど、話を聞いてみると皆思ってるみたい。つまりは、そういうこと。
結局恋愛なんてセックスの前の行動の美化だろなんてこと、くだらない人間がよく言うけど、それは本当にそう思う。ギャルゲーで甘酸っぱく美化されすぎなんだよな……って俺の人生経験の浅さが明るみに出るけど。ま、そういう美化されたものを愛せるなら、おれはそれで良いと思うわけで。なんで恋愛が存在するかっていったら、気持ち良いからでしょ、楽しいからでしょ。無駄なものだったら存在しないよ、人間の行動。殺したいと思うこと、むかつくと思うことでさえも、不快感を覚えれば、そこから脱しようとする動きになるから、無駄じゃない、的なことなんだけど、フィーリングでわかってもらえれば幸い。
僕は一般人に擬態できるオタクになろうと生きている。社会とか言うめんどくさいもんの中で暮らしていかなければいけない以上、その中でも楽しくすごしたいわけで、今の社会の中でのオタクの扱いを考えると、最低限のことはしていかなければならないわけだ。
それにさ、オタクでもかっこよければ許されるような風潮はあるよね。西川ちゃんとかさ。妻夫木聡も(バラエティとかで話を聞いていると)オタクっぽい、モンスターハンターやってたし。妻夫木かっこいいよね。
まとまらなかったけど、オタクでもかっこよければ許されるし、かっこ悪くてもパンピーに擬態すればオタクの社会でも未来は明るいよってこと。俺は社会の中でオタクをカミングアウトして生きていくんだ、って方はつらいだろうけど、僕はそれを否定しない。でも、オタク趣味の押し付けとかは、パンピー側としては勘弁してもらいたい、って感じなんだろうなと思った。
ま、オタクの俺がほざいてるからどうだかわかんないけどさ。