おそらくその重苦しいセリフはどこかへ置いてきたのか?
くだらない、と言われること、いや、どちらかというと、人に少しでも否定されること、に慣れていない。自慢でも、大げさでも、なんでもなくて、それが、いつまでたっても怖くて仕方がない。否定されることを否定しようとして、規定されている、指定されていることを、最低限こなそうとすること、まったく素晴らしいことではあると思うのだけれど、それだけになってしまっていないか。
最悪で、なにをする気にもなれない時間、いくつかあったけれど、今はそれではないのだから、少しでもポジティブなこと、考えようとする努力、君から少しでも奪ってしまおうとするのだけれど、苦々しい顔されるのが怖くて、何も出来ないでいるのだ。会いたい、と思うこと、話していたい、と思うこと、繋がりたい、と思うこと、それは肉体的にも精神的にも大事だと、僕を含めて誰しもが知ってはいるだろうけれど、リスクを恐れている僕がそこらじゅうにいる。
ハイリスクハイリターン、なのだろうが、本当にリターンがあるのかと一日に何度も疑ってしまうこと、が人生ならば、面倒で仕方がない。
彼が怖い。彼女も怖い。思い返せば彼女も怖くて、そういえばあの彼も怖い。
さいころ、この世界は僕のものではないかと疑っていた。セカイ系だというわけではなくて、もっと壮大なものだ、でも、この発言自体がセカイ系なんだけれど、それは棚に上げて、思い返す。
人が怖い。
人が面倒だ、という感情にまだ近いから、僕はまだ安心していられる。本当に人を怖いと思ったときは、既にそこは僕の世界なのではないのかもしれない。僕の世界、貴方の世界、重なって、何かが生まれるのなら、まだ安心しなければならないのだろうか。マイナスのもの、生まれるたび、逃げたいと数百回は繰り返し思うのだが。
僕以外の人が皆凄いという感覚、に、嫌な汗がでる。ふいに落ち着かなくなるのだ、最初から落ち着いてなどいないけれど、それさえも常に棚に上げている。そんなものを常に担ぎ上げて、見せびらかして、自分の何を誇示しているのか。どこまでもどこまでも恥ずかしくなるが、どこまでもどこまでも続いているので、どうにも逃げ場所が見つからなくて。
逃げ場所を探している。
恥の少ない人生をおくってきました。冒頭にかかれるべき文章は、最初から光など持ってはいない。