とげとげ

大きな声で、ラブ、叫び続けること、そんなものは生きていくのと同等に、寝る前に明日死なないようにと願うのと同等に、根本からの大切なこと、だと信じてはいるのだが、じんわりとそれは、色あせて、普通になってしまう日が、普通になってしまった日が、もしかすると、やってくるというのだろうか。いや、やってきたというのか?
僕に似たあの人、あの人に似た僕、そして僕やあの人に似た大勢の人々、みんなにラブを叫び続けたいと思っているのだ。ただ、ただしかし! 残念! 僕の活きの良い喉では、ね、まったく、叫び続けることをやめることが出来やしないのだ。どうしようもなくて、昔のアルバムから、素晴らしかった日を思うばかりなのだが、ただ、ただ、今もその日々と同様に、むしろ同等に、愛情注いで、愛情注がれて、生きてはいるはずなのに、何故、疑問は口をついてでるのだが、理由はわかりきっている。わかりきったものだらけのつまらないリアルで埋め尽くされた世界で、ただ美しさを求めようとしている姿勢、くずすことは進歩をなくすのだけれども、整合性を打ち破ること、時には必要なのかも。
僕の信じる美しいセリフは、あの日から、という明確な範疇をもたない日から、どうにも刺を無くしてしまったらしい。心えぐる一言、いい意味でも悪い意味でも、僕には、いいや、君にも必要なはずだ。君には僕からあげる、ね、だから、さ、僕には君から、なんて希望、捨ててはいない。捨ててはいけない。僕の口から出てくる、どうしようもないもののかけらが、どうにか新しい刺激を持つ日まで、僕はこの喉で叫び続けるのだ、それが今はつまらなすぎるものであっても。
押し付け、押し付けがましさ。君に僕が望むもの全て、君はもとから持っている。だから僕は君を賛美したいんだ、と、心から望む日々、もう見えなくなっている。強い光、むしろこれは真夏の影のようなものなのかも、とも思うのだが、やはり、秋の日、落ち葉の中でまぎれる俺だけの落ち葉、みたいな、ものか。君の落ち葉はもう見つけたけど、それを君はもう素晴らしいと思えないのかい? 僕が褒めすぎたせいだ、などと、君は言う。それは、そう、なのだと思う。だから僕はがんばるのだ! 頑張る、簡単に言うこと、今の僕にはたやすい。君が初めて嘘をついたその前の日から、僕は嘘をつき始めたのだから。
もうあと数十回、僕は君に愛を叫ぶだろう、その後は、君が決めること。君が僕の賛美を、その時、嬉しいと、少し、ほんの少しでも思ってくれるのなら、その先、僕が永遠に君を賛美することをも包括して、許してくれると僕は嬉しいのだけれど。でもね、それを真に望んだりはしていないのだ。
気持ちは変わらないけれど、言葉が色あせる、恐怖、いや、怖くはない、恐れだけが、あって。無理をしてはいけない、けれど、無理をしなければ君にラブ、伝えられないなら、僕はできるかぎりの無理をしよう、それが僕に残された最後の刺ならば。