泳げ

結局どうにもならないから、僕は魚になることにした。どこかその辺の池で、むしろそう、貴方の家の前なら水溜りででもいいんだ、泳げたなら、軽い水音と共に、跳ね回るんだ。でも、考えて考えて考えあぐねたけど、もしかしたら僕は魚になったその後に、空を飛びたいなどと願うかもしれないのだった。だとすれば、最初から鳥にでもなりたいなどとさらに馬鹿なことを願えばいいのかもしれないが、魚になろうと願ったその日から、それはダメだ、一番ダメだ、と思い続けている。
金魚鉢で跳んだ名も知らぬ魚。
冷たいものが頬にあたって気付いた。こんなにも狭いステージで踊っている、と思ってしまうのは、僕のかけがえのない価値観を肯定するためだけに存在する価値観のためなのだろう。笑いながら水を換えるために立ち上がった。一日放っておいたバケツの中の水が濁っているかもしれないなどと思いながら、カーテンを開けた。眩しい。眩しい。眩しい、ってなんだろう? 光、あぁ、死にそうになるほど美しい、とでもあの人なら言うだろう光景、光景じゃない、色、色じゃない、あぁ、なんて透明、突き刺す光、あの人を思い出させる歓喜を呼び覚ました。バケツの中の水が光って、自分の存在感のなさをかたくなに主張する。水だ、水を換えないと。
金魚鉢から飛んだ名も知らぬ魚。
僕は土を掘った。狭いステージじゃ耐えられなかったのかい? 僕の大事な友達と同じように、どこかへ旅立とうとしたのかい? だとしたら僕は泣きながら君の手を握ってやることしか出来はしないじゃないか。一言でも二言でも、欲を言えば一日中、君と話せることを期待していたというのに、もうそんなことは出来やしない。なんて考えるけれど、もしかすると僕が君の話を、君の話という一固体のものだと認識してしまっていて、変化のないもののようにでも感じていたからなのだろうか?
金魚鉢からとんだ名も知らぬ魚。
どうか伝えて欲しい。あの人を好きでいられることに僕は幸せを感じているんだと。君のような素晴らしい友人と会えた事であの人を好きでいられるのだと。まるっきりハッピーな感情を、包み隠そうともせずに伝えて欲しい。出来る限りの、どこまでできるか僕にはわからないけれど、僕が馬鹿にしている以上に、頑張ってくれるはずだと僕は信じているよ。耐えようのない安堵感、覚えて、僕はバケツを傍らに横になり、目を閉じた。窓からさりげなく差し込む光が、壊せない充実を睨んでいた。
魚になってから僕は、真っ先に、小さなひれを動かして、エラ呼吸に最初は慣れないだろうけど、重たい身体の力を振り絞って、そうさ、君に会いに行くだろうけど、そのときにはあの人は連れて行かないと、思う。
庭の少し盛り上がった部分には、アイスの棒でできた墓標は、結局たてないでおいた。