HIKIKOMORIwithDOG 2

幸せの後にやってくる虚脱感。多分にそれは、幸せと同時に現れていたから見えなかっただけで、幸せが取り払われた後は、それだけが誇張されているようで、実像なのだろうけど、もはや理解できないほどの威圧感を放っている。
視線がどこかへとさまよい、何かへといざなおうとして入るのだろうけれども、決して、何かそのものへとたどり着くことはない。誰もが一点を常には見ていないように、どこか一点を目指すということが難しくて仕方がない、それに、寄り道してでも進むということ、さえも難しいと感じるのだ。本能のままに進むということは、情動に身を任せるということで、理性の消える瞬間そのものは待ち遠しいのだが、底に至るまでの経緯、苦労、痛み、つらさ、が面倒で仕方がない。そんなことならば、いっそ死んでしまえば良いのではないか、と、一瞬、あるいは数時間、考えることもしばしばであるし、そんなときは、くだらなくいとおしいあの子の声がどこからか聞こえることをのぞむのだが、聞こえるはずもなく、せわしく視線を動かすばかりである。
僕はいつからチワワなのかね?
そう考えて、あまりの意味不明さに苦笑する。自分の思考というもの、それにいつもいつも辟易するので、珍しいことではないのだが、これは酷い。
愛玩されたい、と願い、そう、対等の立場でなくても良いんだ! そばにいられれば、と思うのだ、犬のような感情、といっては犬に失礼だから、僕は犬以下のものに成り下がる、というある種、エゴイズム、抱えて、いちおういきる。